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<title>知と愛</title>
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<description>日本の古き文化、日本人の古きこころをエッセンスとして、わたしたちの今、此処（ここ）を綴る</description>
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<title>市橋達也と「母に捧げるバラード」</title>
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<description>市橋達也の親の話しを聞いていたら海援隊の「母に捧げるバラード」を思い出した。僕は...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;市橋達也の親の話しを聞いていたら海援隊の「母に捧げるバラード」を思い出した。僕は武田鉄矢という人がそう偉い人だとは思わないけど、この歌の詩は、親の姿の見本として大いに共感。『働いて、働いて、働きぬいて、休みたいとか遊びたいとか、そんな事おまえいっぺんでも思うてみろ、そん時は、そん時は、死ね、それが人間ぞ、それが男ぞ』とこの母は言うのです。 休みたいとか遊びたいとか思っただけで、死ねですよ！市橋達也ならどうです。僕は市橋達也の親がどうだとかではなく、「母に捧げるバラード」には、教育の原点、正しい親子の姿があると絶大に思いますね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;↓武田鉄矢のトークと歌を是非聞いてみてください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.youtube.com/watch?v=xu2_ZjGs8Ls&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?v=xu2_ZjGs8Ls&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>学校・教育</dc:subject>

<dc:creator>ウートレウートレ</dc:creator>
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<title>吉田松陰</title>
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<description>このブログのタイトル『知と愛』の知は、儒教的なあるいは仏教的（禅的）な「意志」。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;このブログのタイトル『知と愛』の知は、儒教的なあるいは仏教的（禅的）な「意志」。愛は国学でいうところの「情（こころ）」ということで、「漢心（からごころ）」と「大和心」といいかえても、「吉田松陰」と「本居宣長」といいかえてもとこのブログの最初に書いたのですが、吉田松陰という人は実は情の人であり愛の人であって、そう言う意味では愛があってこその知であって、本当に偉い人というのはみなそうなんだろうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;吉田松陰が江戸伝馬町の獄で弟子たちに書き残した「留魂録」の有名なくだりです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;《今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。蓋し彼禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅、冬蔵す。秋冬に至れは人皆其歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未た曾て西成に臨て歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未た秀てす実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然ども義卿の身を以て云へば、是亦秀実の時なり、何ぞ必しも哀まん。何となれは人事は定りなし、禾稼の必す四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。十歳を以て短とするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其秕たると其粟たると吾か知る所に非ず。若し同志の士其微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未た絶えず、自ら禾稼の有年に恥さるなり。同志其是を考思せよ。》&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は30歳で生を終わろうとしている。私はいまだ一つも成し遂げることがなくこのまま死ぬのは、穀物が花を咲かせず、実をつけなかたことに似ているから惜しむべきことのようであるがそうではない。私も花咲き実りを向かえたのだ。春には種をまき、夏には苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを蓄える。農事に四季の巡りがあるように、人間のにも同じように四季があるのだ。10歳の死にも、20歳の死にも自ずと四季があり、私も自ずと四季があったのだ。それが単なるもみ殻なのか、成熟した栗の実であるかは私のしるところではない。もし、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくことと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。だから今淡々と死を向かえると言うのです。吉田松陰のこういうところが、本居宣長の嫌った儒教的一面とも思えますが、実はそうではないです。本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と同じ大和心、同じ心持ちなのです。たわわに実った稲穂も、朝日に匂ふ山桜花も、人間の命も、同じだということです。人間の寿命は自分で決めることはできない、しかし死はかならずやってくる。死ぬということは自然に帰るということです。自然の営みとともに人間の営みがあり、自然に生かされ、自然のなかに帰るということです。はかないけれど悲しいけれど美しい。古来の日本人は、命をそういうふうに感じてきたのです。しかし、誤解しないでください。本居宣長も吉田松陰も、神風特攻隊のようにお国のために死ぬことが美しいと言っているのではないです。死を思うことによって生を思い、生を思うことによって死を思うのです。たわわに実った稲穂も山桜花も、生の輝き、生への渇望があるからこそ、美しいなと、こころにしみるように感じることができるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日10月27日は吉田松陰の命日らしいです。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>人生</dc:subject>

<dc:creator>ウートレウートレ</dc:creator>
<dc:date>2009-10-27T08:56:00+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://chitoai.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e312.html">
<title>南條文雄という人</title>
<link>http://chitoai.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-e312.html</link>
<description>前回の「笠原研寿という人」に引き続き、「南條文雄という人」に少し触れておきたいと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前回の「笠原研寿という人」に引き続き、「南條文雄という人」に少し触れておきたいと思います。南條文雄という人は大変詩作が好きであったようです。またそれを揮毫することを好んだようで多くの書を遺しています。南條文雄の書は残念ながら高く売れず、また安くとも売れずで、これは書画屋として反省しなければならないのですが、売れない人の作品を見ると、「あぁ、売れない人だ」という思いが先に立ってしまいます。もちろん、「（偉い人なのに）どうして売れないの」、「どうしてこんなに安いの」とも思うのですが、どうしてもその現実に負けてしまう。何か無気力状態になってしまう。そして「あぁ、売れない人だ」ということで過ぎていってしまう。これは書画の価値をはかる基本中の基本ですが、芸術家の書画であっても、学者、政治家、宗教家のような歴史人物の書画であっても、その為した仕事の価値、その人物の魅力によって決まってくるのです。そうでなければならないのです。そして、書画の価値と書画の価格というのは均衡していないとおかしい。価値のある人の書画が安く、価値のない人の書画が高くてはおかしいのです。もちろん量の問題もあります。当然ですが、作品が希少であればその価値以上に高くなる。また、量が多ければその価値以下に安くなる。南條文雄の場合後者ですが、だからといってその作品の価値が低いというわけではないのです。価値のあるものが安いのですから結構なことですが、問題はそのバランス、価値と価格のバランスが不当に崩れているのです。結局、書画屋の仕事というのは、そこをちゃんと見据えて商売ができるかどうかということが肝要なところです。不易流行という言葉がありますが、書画屋は不易を守ってこそ成り立つ、まずもって不易を求めなければならないと私は信じます。話しが回りくどくなりましたが、要は南條文雄は不当に安いと言うことがまずもって言いたかったことであります。そして、今はその現実の中でお客さんにお勧めするしかないのでありまして、『お金の無いかた』、『床の間に何でもいいから掛け軸が欲しい方』、『一幅で一年中用を足したい方』、また『真宗門徒の方』はぴったしでございましょう。南條文雄の場合、長良川画廊にお越しになれば、だいたい綺麗な二行詩書掛け軸で『20.000円以下』でございますから、通信販売やギフトショップで売っているようなあわれな掛け軸をお買いになるのであれば、どうぞ南條文雄の書をお買い下さい。そんなことで、少しずつ売れるようになれば、価格もその価値にふさわしい水準になってくるでしょう。さて、「南條文雄という人」についてですが、私はこのように偉そうなことをいいながら、実は南條文雄について梵語学者で郷土の偉人であるという程度の、「あぁ、売れない人だ」という程度の浅はかな認識しかなかったのです。（だから売れないのか！）しかし、南條文雄の人生の大凡を知り、南條文雄が自らの生涯の所感を述べた「爪雪処七十九年」を読み、そのなかに述べられている、《この身もまた同じ仮りの器である。》というところに我が意を得たりと痛く感動したのであります。そして、この人物の偉大さを知ったのであります。では、私ごときが余分なことはいいますまい、是非みなさまにも読んでいただきたく、ご紹介だけさせていただこうと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.nagaragawagarou.com/sakuhin/bunyuu-k023.html#sousetsusho&quot;&gt;「爪雪処七十九年」へ&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>書画屋よもやま話し</dc:subject>

<dc:creator>ウートレウートレ</dc:creator>
<dc:date>2009-08-18T09:57:55+09:00</dc:date>
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<title>笠原研寿という人</title>
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<description>今日は終戦記念日・・、 そうは言っても特に感慨はないのだ。それもしょうがないでし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今日は終戦記念日・・、&lt;br /&gt;そうは言っても特に感慨はないのだ。それもしょうがないでしょう、僕は戦争をしらないのだから。靖国に閣僚で唯一人野田聖子参拝す。「幼いころからの行事であり、閣僚であろうとなかろうと私人として参拝する」軽いな～、アホだな～、と思う。　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先日ある人に言われた。「俺はブログが嫌いだ」と。&lt;br /&gt;まあ、確かにそんな気分もよくわかる。要するに野田聖子が軽いな～、アホだな～なんて言ってる暇があるならもっとすることがあるだろう、ということだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこで今日は少しは世のためになることをと思い、笠原研寿という人がこの世にありしことを知っていただきたく、イギリスのマックス・ミュラーという人が『仏教はかくのごときの人を以って誇るにたれり。』とロンドンタイムズに寄稿したこの笠原研寿という人のための追悼文を、写経でもするつもりでここに書き残しておきたいと思う。笠原研寿は、富山県東礪波郡城端（南砺市）の真宗大谷派恵林寺の僧で、明治初め同門の南條文雄とともに宗門よりイギリスに派遣され、仏教学の権威マックス・ミュラーの下で梵文（サンスクリット）仏典を学ぶが、明治16年、31歳で志しなかば病に死す。 &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;笠原研寿小伝　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;明治一六年九月二十五日刊行　イギリス・ロンドンタイムス新聞寄書　&lt;a href=&quot;http://www.nagaragawagarou.com/sakuhin/bunyuu-k023.html&quot;&gt;南條文雄&lt;/a&gt;訳&amp;nbsp; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;近日、日本より我がもとに達せし郵信は、我が年少なる友人かつ門人なる笠原研寿の死を報じ来れり。イギリスにては、この人の名はまだ広く知られずといえども、この人の死は必らず公示せざるべからず。ラスキン氏（牛津大学美術博士）誠に言わずや。我が輩は社会の意を注がず、或いはついに聞き及ばざるところの人々といえども、その事業に力をつくし、かつ我が輩をして最も善く力を用うべきの道を学びえせしむる者の行状を録せんと要するなりと。我が友の行状は、すなわち我が輩をして常に驚嘆せしむ。彼多く熱心にしてしかもその結果をえざりし者の一なり。その驚嘆の情況は、あたかも我が国中の少なき果木の美花爛熳たりしもの、一朝の厳寒にあたりついにその美と将来の希望とを失いし者のごとし。笠原研寿は年少なる仏教僧徒たりしなり。一八七六年（明治九年）にその友南條文雄とともに英語をロンドンに学び、爾後に梵語を牛津に学ぶために、日本よりイギリスにまでその本山より送られたり。この二人はともに一八七九年（明治十二年）を以って我が許にいたれり。しかして若干の艱難に遇いしといえども、実直勉強の勢力を以ってついにその語に達し、少なくとも仏教の聖教をその原語すなわち梵語を以って読みうるにたるまでにいたれり。最初には彼らはほとんどその日本より遠く牛津にまで来りし目的を我に説明しえざりし、しかして彼らの進歩は我をしてその成功の望みを絶せしむるほどに遅緩なりし、しかれども彼ら自身はその望みを絶せず、しかしてついにその結果をえたり。笠原の牛津にありしや、その起居はなはだ単純、さらに愉快歓楽のことにその身を委せず、しかして少しく閑散の行歩をなせしのみ、煙を吹かず、酒を飲まず、小説と新聞紙とを読まず（訳者云日々新聞を読むの暇なかりしなり、さらによまざりしにはあらず）。日をおうてその業に従事し、ときありて数週間我とその同学南條文雄とを除き、その他人の人と面語せざりき。笠原は雅正に英語を話し、かつこれを書せり、しかして少しくラテンと法蘭西（フランス）語とを学び、いささか歴史と理（哲）学との最好の英書を読めり。笠原は日本に帰りしのち、最も有用なる人物の一人たりしなるべし。いかんとなれば欧洲開化中の善美たるところを貴重しえしのみならず、その自国の華美の幾分をも保ち、必らずいたずらに泰西の気風を模擬する者にはあらざりしが故に。笠原の行状は完全なりし。すなわち我欲なき人の自然の挙動なりし。しかしてその品格にいたりては、我はただこの語あるのみ、曰く我れ久しくこの人を監視せしといえどもいまだかつて一の詐偽あるを見ざりし。しかして疑うらくは、この四年間我れ牛津諸生中、或いはこの憫然なる仏教僧徒よりも清浄にしてかつ貴ぶべき精神を有せし者ありしかと。仏教はかくのごときの人を以って誇るにたれり。去歳笠原の牛津にありしや、いまだかつて愁訴せざりしといえども、我れその鬱悶の兆を視得たり。我れすなわち医師を見ることを勧。しかして医師ただちに確述していわく、我が年少なる友人の労症（肺病）はすでに膏盲にありと。しかしてその帰郷を勧む。笠原これを聞きてまた畏縮せざりし。しかしてそのとき静かなる音声を以って言いし語いまなお我が耳にあり。曰く然り、我が邦人多く労症に死すと。しかれども笠原はなおよく旅行し、しばらくセイロンにとどまり、その地の高僧と南北（即大小乗）仏教の相違を討論しえたり。その日本に帰るに及びその病勢とみに増長せり。笠原はしばしば我れに懇書をよせ、ただその学業につくをうるの力なきを愁訴せしのみ。その感覚を抑制すること（いわゆる喜怒悲歓不動於色）最も非常なりし。その我れに告別せしときにあたり、その浅黄なる顔色は、平常のごとく沈着なりし。しかして我れはほとんどその心中のいかんを解する能わざりし。しかれども我れ知ることあり。笠原の我れを辞せしのち、反覆我が家を顧望し久しく我が街路を徘徊せり。笠原さきに我れに語りて言えることあり。その生平の最も幸福なる日を我が家に消過せりと。笠原の最後の寄書に、一たびその本国にありての寂寥を愁訴せり。曰く病夫には耐久の友はなはだ少なしと。この書を寄せしのち久しからずして没せり。しかして七月十八日を以って東京においてその葬儀を行えるという。笠原の遺稿数部あり。他日その刊行を謀らんと欲す。そのうちとくに那掲閼刺樹那‘ナーガルジュナ‘（すなわち竜猛旧訳には竜樹という）の編集と称する仏教名目の古梵語典なる『達磨三掲刺哈‘ドハルマサングラハ‘』の梵本を発兌するを要す（『法集名数経』と題する趙宋の施護の訳せし支那訳は『明蔵則字函』中にありおよそ六紙半なり）。しかれども多年入業ついにその果を結ばざりしことを思えば実に痛ましきかな。いわんや三千二百万の日本仏教徒中一人の善良文明なる仏教僧徒のなしえたりし善事の多少いかんを想察するにおいておや、実に痛むべきのいたりなり。好往善人‘シテ‘（原語はラテン文を引用す、これローマ人常に墓石に題せしの語にて、「善き霊魂よおさらば」という永訣の語なり）我れ善く記す。さりし年モールヴェルン（イギリスの地名）岡上より、ともに明赫なる日没を見しとき、西方の空色は金色の帳幕のごとくなりし。しかして我が輩はその帳幕の何ものを覆蔵せしかを知らざりし。このとき笠原我れに語りていわく、彼処はすなわち我が輩のいわゆる蘇佉伐提‘スタハーバティー‘（すなわち安楽土）の東門なりと。笠原は遠く西方を注視し、しかしていっさいのかつて互いに親愛せし人とともに彼処に会し、かつ親しく阿弥陀婆‘アミダーブハ‘（すなわち無量光）仏を拝し奉るべしと信憑せり。　千八百八十三年九月二十日　牛津に於いて　エフ・マックス・ミュラー&amp;nbsp; &amp;nbsp; &lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &amp;nbsp;&amp;nbsp; &lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>宗教</dc:subject>

<dc:creator>ウートレウートレ</dc:creator>
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<title>結婚式</title>
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<description>昨日は弟の結婚式に出席。今流行のレストランウエディングで人前式、イエス様でも天照...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日は弟の結婚式に出席。今流行のレストランウエディングで人前式、イエス様でも天照皇大神の前でもなく、私たちの前で契りを結ぶのである。変なもんだと思う。私は神主でも牧師でも市役所の戸籍課でもなく、結婚しようが別れようが好きにしてくれたらいいのに。弟君は１ヶ月掛けてウエディングリングを手作りしたそうな。それを微笑ましく思うか『カッコ悪っ』と思うか、はたまた、お父さんお母さんこれまで育ててくれてありがとうと花束を渡し、○○家と○○家ご両家を代表して新郎の父親（私の父親です）が涙を流して息子を語り、みなさまよろしくお願いしますと頭を下げて、感動するか『しらっ』と思うかはメンタリティー＆思考力の問題。弟君は２７歳、彼の吉田松陰は同じ歳、野山獄に幽囚されたのち、萩の実家に蟄居し松下村塾で高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、吉田稔麿、前原一誠、山県有朋、品川弥二郎らに学問を教え、学問の何たるかを教え、国を憂い、天下国家を論じていた。斬首される２年前のこと。なにも、なにも、弟君を吉田松陰と一緒にしょうなどと言うのではなく、少なくとも２７歳はとうに立派な大人であると言いたいだけであります。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>人生</dc:subject>

<dc:creator>ウートレウートレ</dc:creator>
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