経済・政治・国際

選挙

 私は、この歳になるまで一度も選挙というものに行ったことがありません。理由は、一 つは、日本の政治状況に期待するものがないということと、もう一つは、選挙に行かないことが、寄付をしないことと同じく、非国民的と言われることに抵抗(反抗)する気持ちがあったからです。しかし、今度の参議院選挙には、行こうと思います。

 私は、日本の政治状況に期待するものがないと書きましたが、その気持ちに変わりはありません。しかし、今の日本の政治状況は、操舵する船に喩えるならば、戦後以降、緩やかに右に舵をとって操船していたものに、速度全速、右舵一杯と無茶苦茶な号令がかかっているようなものです。先頭で号令を掛けているのは安倍晋三という政治家です。 私は、この政治家は、戦後の歴代総理大臣のなかで最も独善的で思慮に欠ける人物であると思います。彼が操舵を握っているうちは、いずれ船は転覆するだろうと思います 。それがわかっていて、何もしないというわけにはいかない、それが今回、私が初めて選挙に行くことにした一つの大きな理由です。

 改めて、憲法前文と憲法9条を読んでみました。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの 子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は 、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

憲法9条

 

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 以上、憲法前文から、9条を通読すると、改めて言うまでもなく、自衛隊の存在が違憲であることは明白です。その上で、違憲である自衛隊の活動範囲を規定する平和安全法制は、そもそも議論として成り立たないわけです。私は、戦後の日本は、軍事力を持たず、自国の安全を守り、世界の平和に貢献する道を歩むか、そうでなければ、軍隊を持って、世界の平和に貢献する道を歩むか、憲法に置いて明確に示さなかったことが、結果、憲法を正当な法手続きを経ずに憲法を改定するという、国民主権という民主主義国家の根幹を蹂躙する安倍晋三という政治家を生んだのだと思います。

 憲法とは、私たちの社会の根底を支えるものです。憲法とは、《われわれが誇りを持って守らなければならないものとして存在しなくてはならないものです。》では、私たちは、憲法を守ってきたか、守ってはいないではないですか、軍隊をわれわれは持たない、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、軍隊を持たないと高らかに謳いながら、軍隊を持っているではないですか。くどいですが、もう一度繰り返します。憲法というものは、守らなければならないものです。憲法を守るとは、憲法改定をしないということではありません。憲法及び、それによる法律に従った憲法改定であれば、それは憲法を守っているということです。私は今の憲法は、改定するべきであると思います。先に書いたように、軍事力を持たず、自国の安全を守り、世界の平和に貢献する道を歩むか、そうでなければ、軍隊を持って、世界の平和に貢献する道を歩むか、そのどちらかを明記する憲法改定をするべきだと思います。

 一昨日の朝日新聞の一面は、《改憲勢力3分の2に迫る 》です。もはや、日本の政治状況は、安倍晋三の手によって憲法改正に向かうであろうと思います。

 私はこう考えます。

 現行憲法の本質的な問題は、守れない文言を謳ったことです。口ばかりで、諸国民の公正と信義に信頼する決意も勇気もないのに、高邁な理想を謳いあげてしまったのです。私は、安倍晋三に憲法を書き換えられるくらいなら、《憲法とは、守らなければならないものだと信じている人たち》の手で書き換えられるべきだと思います。現行憲法発布以降、歴代政権は、個別的自衛権の範囲内での自衛隊の存在は合憲であるというところまでで、憲法違反を止まってきたのです。安倍晋三という人は、初めて、その連続性を踏み越えて、憲法に違反する法律は憲法違反であるのにも関わらず、平和安全法制という法律によって憲法を踏みにじり、自衛隊の集団的自衛権の行使容認という、憲法9条の定めた根幹部分に対して、真っ向から憲法違反を犯したのです。私は安倍晋三という人は、ヒットラーと同じ匂いがあるのではないかと思います。

 今の世界の状況は、繁栄を謳歌してきた国がある一方で、それを憎悪するイスラム国に代表されるような人たちがいて、彼らを単に圧倒的な軍事力では抑えられなくなっている。国家と国家の対立というこれまでの概念では、戦争というものを捉えられなくなっている。彼らは言わば、獅子身中の虫となって、われわれの肉体に巣食っている。そして、私たちは、自ら原発というもう一つの獅子身中の虫を抱え込んでいる。その二つの獅子身中の虫によって、われわれは、人類の歴史上初めて、人類が滅亡する危険に直面しているのです。
 私たちは、その現実の問題を、一人一人の国民が、真剣に、深く考えて、議論を重ねて、日本人が進むべき道を決めていかなければなりません。また、少しでも間違った道を正していかなければなりません。そうでなければ、日本は本当に転覆してしまう。今の世界は、日本が転覆すれば、世界も転覆しているのです。どちらが先でも同じことです。われわれは、人類滅亡の危機に、人類の歴史上初めて立たされた、そう考えなければなりません。
 私は、安倍晋三を容認する、政治状況の中で、少しでもましな憲法改正ができるような政治状況を作らなければならないと思います。そのためのデモであるなら、参加するべきでしょう、僅か一票の力でも、選挙に参加して、安倍晋三に抵抗しなければなりません。

最後に私の考え方を整理して、どこに投票すべきか考えてみたいと思います。

 私は、自衛隊を憲法によってその存在を認めるべきだと思います。そして、大きく変わった世界情勢と、そこに置かれたわれわれの状況の中で、自衛隊の在り方と、外交政策を考えなければならないと思います。

一、憲法前文は、改定の必要は無い。憲法9条は削除すべきである。

一、自衛隊をリストラし、精鋭部隊に組織改造する。陸上自衛隊は、災害救援隊に改称し、災害救援を第一任務にする。

一、日米安保条約を破棄する。

一、原発はすべて即時停止、廃炉に向けて、その研究と方策に最大限の予算を投じる。

 以上は、私の現在の大枠の考え方の一部です。

 私は今の政治状況にも、政治家にもほとんど絶望しているというのが本当の気持ちです。まともな政治家は存在すると思いますが、まともな政党は一つもない。しかし、それでは未来は開かれて行きませんから、私の考えに少しでも添う政策を持つ政党を選択し、その政党に成長してもらうしかないと思います。また、安倍晋三の間違った政治をを少しでも正して、議会制民主主義を守ってもらわなければなりません。

私は、今回は、公明党に一票を投じるつもりです。

(この論考は、私の親友であり、創価学会会員である、SS夫君と、Mさんに捧げます。)

(追記)
 日本は、現実に軍隊を持っています。ミサイルも戦車も戦闘機も持って、世界有数の軍事力だと言われています。どこに、自国の軍隊を侵略のための軍隊だと喧伝する国があるでしょうか。軍隊は、国民を守るために在るのです。国民を守るために、個別的自衛権も、集団的自衛権もありません。そうであれば、憲法9条は、何のための条文でしょう、国民を守るための足かせになるだけの無用な条文ではないですか。私たちは、軍隊を持つのであれば、決意を以て持たなければなりません。

 安倍政権が法制化した「平和安全法制」には、「自衛の措置の新3要件」というものが附帯され、公明党は、他国防衛を目的とする集団的自衛権は認めさせないと誇らしげに語っていますが、そこには、戦争をする上での当たり前のことが書いてあるだけで、強権政治には全く通用しないものです。われわれにとって最も大切なことは、強権政治に至らせないということです。国民主権の上に、健全な民主政治が機能されることです。それが、決意を以て軍隊を持つということです。そのためには、議員一人一人、国民一人一人が、憲法の精神をよく学び、よく尊重して、民主政治を守っていかなければなりません。私は、今回の参議院議員選挙で公明党に投票しますが、それは、公明党という党にではなく、創価学会会員の一人一人に向けて投票するのです。創価学会の会員の人たちは、日蓮の弟子ですから、日蓮の弟子であれば、民主社会と民主政治を守るために身を挺しても戦ってくれるだろうと信じて投票するのです。いま、創価学会という組織は、巨大になり、公明党という日本の政治に重要な位置を占める政党を持つまでになっています。果たして創価学会という組織は、民主的に機能しているでしょうか、私は毎朝聖教新聞を読みますが、紋切り型で前時代的な文言で、一人のリーダーを毎回毎回繰り返し賛美し続ける紙面に違和感を感じます。

 創価学会の在り方について、疑問を感じることは多々ありますが、それはまた別の機会として、最後に一つだけ、創価学会の人たちは、日蓮の弟子と信じて、内村鑑三が、『人間の内で最も正直な人、日本人の内の最も勇敢な人』と讃えた日蓮の弟子と信じて申し述べます。

 信仰のない宗教は宗教ではありません。信仰のない宗教は、単なるお茶会のようなものです。信仰というものは組織を支えるものではなく、個人を支えるものです。信じる拠り所があるからこそ、個人は外に向けて開かれるのです。創価学会の一人一人の人たちが、外に向けて開かれて、本当の民主主義社会を実現するために、これ以上、安倍政権の強権政治が前に進まないように、力を尽してくれることを切に願います。

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泣く男

フィギュアスケートの織田信成選手がおいおい泣いていました。それもテレビの前で、小さな子供が泣くようにおいおい泣いていました。小学校6年生の娘にいわせると、6年生の男子でも、先生に叱られたり、女の子と口喧嘩したくらいで泣く子がいるそうです。わたしのような、選挙には行かない、神様には手を合わせない、法を法とも思わないような人間が、国を憂うのもおかしな話しですが、日本は戦争になったら負けますね。こんなことで男が泣くような国は、対等な戦力なら間違いなく負けますね。わたしも、そう勇ましい人間ではありませんが、ともかく、男は敵が来れば、女や子供や家庭を守るために戦わなければならんでしょう。自分の故郷の平和を守るために戦わなければならんでしょう。だから、先ず、『男は泣くな』といわれるわけです。『女みたいにめそめそするな』といわれるわけです。男女平等なんて関係ありません。それが、少なくとも男子教育の基本ではないですか。そうわたしは思いますが、今の日本の教育は違うのですね。もはや日本にそんなことが起きるなんて、まったく今の親たちは夢にも思っていないのですね。織田信成選手がおいおい泣くのを見て確信しました。だからこそ、日本は絶対に戦争をしてはいかん。アングロサクソンのように、戦って平和を勝ち取るなんて思想を持ってはいかんのです。海外へ日本の若者を派兵するなんて絶対にあってはいかんのです。

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靖国神社「遊就館」

本日、実に久しぶりに『美術館マンスリー』を更新しました。テーマは、《靖国神社「遊就館」》です。このブログ『知と愛』のなかで、以前に書いた《小沢一郎と日本の国際貢献①~④》、これは、国連の活動としての自衛隊の海外派遣について、わたしの考えを書いていますが、④まで書き進めてそこでストップしています。わたしとしては、《靖国神社「遊就館」》と重ねながら、今後この論考も進めて行きたいと思っております。

欠点の多い拙文ですが、両方併せて読んでいただきましたら幸いです。

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小沢一郎と日本の国際貢献④

前回わたしは、日本人の太平戦争での負けっぷりは見事で美しい、これこそ大和魂、大和心と書いたのですが、そのことは日本の戦争を美化したいがためでは当然ありません。日本人が長年培ってきた《国に忠、親に孝》というような儒教観、宣長のいう「もののあはれ」に象徴されるような日本古来の自然観、死生観、美意識。こういう日本人の持つ類い希な素晴らしい精神性というのは、心の奥底に宿しておくものなんです。そして、人間の本当の幸せ、社会の本当の幸せ、現在でいうなら、平和国家、非軍事国家としての日本の国際貢献がどうあるかを突き詰めて考えるための「日本人の教養」として生かすものなんです。決して、最後の一人まで戦うというような、無茶苦茶な国家主義に利用されるためのものではないのです。しかし、日中戦争から太平洋戦争へと向かう日本の国家は、あきらかに狂信国家へと変質し、その結果としての膨大な犠牲は無惨なものだといわざるおえないのです。特攻隊で散っていった若者、焼夷弾で焼き殺された何十万もの人々を美しい死だとは間違ってもいえないのです。

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小沢一郎と日本の国際貢献③

素直にそう思えない人たち … そういう人たちというのは、大概、日本の戦争を第二次世界大戦とか太平洋戦争とかではなく「大東亜戦争」と呼びたがる人たちで、要するにあの戦争は日本だけが悪いのではないし、日本は戦争するしか道が無かったというわけです。わたしは、そういう人たちに先ずいいたいことは、日本はあの戦争で、国民が一丸となって戦って、最後は徹底的にやられて、見事に負けたんです。そして、整然となんの文句もいわず、アメリカの占領を受け入れたのです。その日本人の振るまいの潔さというのは、見事だし、立派だし、美しいし、それこそが大和魂、大和心ではありませんか。アメリカの戦争のやりかたというのは、それは酷いもので、日本の敗戦が決定的であるのに、東京大空襲であるとか、広島、長崎の原爆投下であるとか、戦争であっても許されない大殺戮をアメリカはしているのです。それでも、その時の日本人は堪えたのです。わたしはそういう日本人を誇りに思います。わたしはそう思えばそれで十分だと思うし、そうであれば、靖国問題で中国や韓国に何を言われても癇にさわることもないでしょう。先に書いたように、日本人であるとか、外国の人であるとかでなく、犠牲になって死んでいったすべての人に向けて日本人は戦争責任があるのです。だからこそ、どうしてあんな無謀な戦争をしたのか、どうして戦争を回避することができなかったのか、どうしたら、もっと早く和平ができなかたのか、そういうことを、科学的に実証的に解明しなければならないのです。そのためには、日本人の精神性の負の部分として、目を背けずにしっかり反省しなければならないことが当然でてくるわけです。

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小沢一郎と日本の国際貢献②

わたしは、実際に戦争を経験したことはありませんが、戦争になれば、普通のほとんどの国民は、「戦争なんて嫌やなあ」と思うでしょう。しかし、戦前の日本であれば、「戦争なんて嫌やなあ」と思っていても、戦争に反対する自由も、徴兵を拒否する自由もないのですから、男も女も、子供も若者も年寄りも、それぞれの立場で気持ちに折り合いをつけて我慢するしかない。ここが戦争のおかしなところです。「戦争なんて嫌やなあ」とほとんどすべての人が思っている。それなのに戦争は起る。20世紀、世界は戦争の時代でした。日本も明治以降、一心不乱に近代化を推し進め、戦争に次ぐ戦争、やがてアジアの盟主となるべくアメリカに戦いを挑んで、すべては多大な犠牲の上に灰燼に帰して、もうとことん「戦争なんて嫌や」「戦争はしてはあかん」と日本人は骨身にしみて思った。もちろんそれは日本人だけではない、戦渦に巻き込まれたアジアの人々やヨーロッパの人々も同じようにそう思った。ここが世界にとっても、日本にとっても大きな節目のはずです。ここから、絶対に戦争はしてはいかんと、どうであれ、こうであれ徹底的に肝に銘じて、それから、ものを感じ、ものを考えないといかんのです。先ず、ここを日本の、日本人の立ち位置にする。このことは世界に通用するし、世界中の人が、国が、この立ち位置に立ってものを考えないといけない。そのためにも、先ず日本がそこに立つ。そこに立つということは、明治維新以降の日本を統治した国家全体、そのありかた、その歩みは、結局、行き詰まって、迷走し、第二次世界大戦において自国民を300万人も死なせ、アジア、太平洋地域にそれ以上の多大な不幸をもたらしたということを、日本人であるとか、外国の人であるとかでなく、犠牲になって死んでいったすべての人に向けて、日本人の戦争責任として受け取らなければなたない。このことを真正面で感じなければなんともしょうがないとわたしは思いますが、先ずはそこに立つということです。

こういうふうに言うと、素直にそうだとは思えない人たちが必ずいますが続きはまた。

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小沢一郎と日本の国際貢献①

わたしは、昔から小沢一郎が嫌いではなく、小沢一郎という政治家は、政治家のなかではめずらしく〈普通の言葉〉が話せる人という印象があります。〈普通の言葉〉というのは説明が難しいですが、作為があまりないというか、外に向かって自分を表現しようとして言葉を発しているというか、うまくいえませんが、聞いていて、その人を感じられるということなんです。小沢一郎が持論を述べた「日本改造計画」という本も、この本が店頭に並んで直ぐに読みましたが、共感することも多いし、正しいことしか書いていないと思いました。さて、先日の大連立辞任騒動も一息ついて、わたしは今も小沢一郎の民主党が政権を担って欲しいと思います。しかし、正しいことが正しいとは限らないわけです。正しくとも間違った選択だということがあると思うのです。それは、小沢一郎のいう国際貢献のあり方と恒久法の制定への動きについてです。日本は国際社会の一員として、国際平和への責任を負わなければならない。そして、それについては国連が中心になって議論をし、国連の同意による、国連の活動としての自衛隊の海外派遣を法制化しなければならない。これは、いかにも正しく、立派な人間の振るまいのように思えます。小沢一郎先生が吉田松陰先生になって、正しい道には困難もある、嫌でも引き受けなければならぬこともある、そのためには命を投げ出す覚悟も必要なのだといっているわけです。しかし、しかしです、しかしそれは正しくとも、日本にとって間違った選択だとわたしは今後論考を進めたいのであります。

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