映画・テレビ

『シリーズ証言記録 兵士たちの戦争』

今、日本のテレビ局(NHKと民放キー局)のなかで、まともな仕事をしているのはNHKだけですね。もちろん、民放でも、個別の番組の中によいものはあるでしょうが、全体としては、あまりに酷いと切り捨てられてもやむを得ないでしょう。仕事というのは、何でも現実の壁というのがあるものです。単純に言えば、わたしのような自営業者であっても、民放テレビ局のような企業であっても、食っていかなければならないわけです。しかし、なぜあなたはテレビ局に入ったのか、なぜお前は美術商をしているのか、ということです。わたしが美術商になったのは、食っていく中で辿り着いた生業(なりわい)ではあるけれど、こうして一生の仕事になった以上、美術商としての自分の在り方を考えなければならない。そういう気持ちを失ったら、もうおしまい。てっめえなんか生きてる値打ちなし、靖国について語る資格なしです。テレビ局というところは、《ものを作る》ところでしょう。そして、多くの人にそれを見てもうことができるわけです。わたしの言いたいことはわかりますよね。民放テレビ局というところで働いていて、少しでもそういう気持ちがあれば、もう少しまともな仕事ができるでしょう。こんなことをぐだぐだ言いたくはないけれど、今の民放テレビ局は、ユーモアもペーソスもアイロニーも微塵もない幼稚な娯楽番組と、そういうところで、大きな顔をしている(ただぺらぺらしゃべるだけが芸のような)芸人(島田紳助、爆笑問題etc)が、きっと文学など読んだことがないであろうエセ御用文化人(石田衣良、櫻井よしこ、宮崎哲弥etc)と一緒になって底浅な社会正義を振りかざすようなものばかりが横行しているわけです。それにくらべて、NHKでものを作っている人たちというのは、ちょっと違うと思わざるを得ないですね。毎年、終戦記念日が近づくと、日本の戦争を振り返ったドキュメンタリー番組がまとめて放映されます。今、衛星ハイビジョンで再放送されている、『シリーズ証言記録 兵士たちの戦争』にしても、過去に制作された『ドキュメント太平洋戦争』や『映像の世紀』にしても、NHKでものを作っている人たちというのは、我々日本人の誰もが真剣に顧みなければならない、敗戦にいたる当時の日本の実像を検証し、その真実に迫ろうとする努力を、《ものを作る》という自身の仕事の中で地道に続けてますよね。民放で《ものを作る》人たちの現場は、NHKとは一緒にはできないだろうけど、それがお笑い番組であっても、どんな番組であっても、そこで仕事の『質』への自問自答を失ってしまったら、せっかくおもしろい仕事についたのに、せっかく大勢の人に何かを伝えることができるツールを与えられているのに、坂を転げ落ちるように無益で荒れた番組しか表現できないテレビ制作者で終わってしまいますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山田太一『本当と嘘とテキーラ』

最近、テレビドラマというものを見ることがなかったのですが、めずらしく先週の水曜日に、山田太一の『本当と嘘とテキーラ』というドラマを見ました。このドラマは、女子中学生の自殺をめぐって、そのまわりの人間や、人間関係の葛藤を、都会の垢抜けた風景のなかに明るいタッチで描いて、最後は、一生懸命まじめに正直に前を向いて生きようとする人たちの友情と希望のうちに終わるのですが、見終わってみてると納得できない気持ちが立ち上がってきました。この脚本は、肝心の自殺した女子中学生を描いていないのです。女子中学生の自殺は、まわりの嘘くさい登場人物たちの道化芝居を見せるための舞台装置として設定されているだけです。脚本によって、今の社会に、あるいは大人に、あるいは子供たちに、命の大切さとか、人間の信頼へのメッセージを送るつもりでいるのなら、何よりも先ず、自殺した女子中学生をちゃんと抱きしめるようにして書かなくてはいけない。そして、派手な外車に乗ったインチキ臭い好お父さんや、饒舌な人たちばかり登場させて安っぽい説教をさせるのではなく、虚構ではない、現実の社会と現実の生々しい人間の姿のなかに、「書くこと」を見つけなければ、若者のこころの奥底に届く言葉など紡ぎだせるわけがない。そんなふうなことを、山田太一の『本当と嘘とテキーラ』を見終わって感じました。

| | コメント (0) | トラックバック (1)