文化・芸術

『日野市立新選組のふるさと歴史館』

最近武蔵野市在住の歴史学者の西脇康さんと交流する機会が増え、今日もこちらの都合さえ付けばお目に掛かれるところでした。この方、総称すれば歴史学者で間違いはないのでしょうが、史料学者であり、貨幣学の専門家であり、博物館の企画もされ、昔でいえば、「浪人」、テレビドラマ風にいえは、「必殺仕事人」といった風情で、実際には、わたしもその正体を掌握できていないというのが本当のところですが、現在、『日野市立新選組のふるさと歴史館』の企画に携わっておられます。わたしも、まだこの『日野市立新選組のふるさと歴史館』に行ったことがないのですが、いただいた展覧会図録から察するに、また、西脇康さんの人物像から察するに、ここは〈ただ者ではないぞ〉という予感を受けております。この歴史資料館、名前の通り「新撰組」がコンセプトかと思いますが、開館記念展が、「新選組誕生」で、次が「新選組 京都の日々」、その次が、「新選組 戊辰戦争のなかで」、そして昨日から始まった企画は『銃砲から見た近代の夜明け』で、次回は来年、新選組のその後から自由民権運動までを取り上げた展覧会をするそうです。わたしは残念ながらここまでの展覧会は見ておりませんが、きっとこの繋がったテーマの裏には、明治維新から近代にいたる日本の歴史の真相に迫ろうとする並々ならぬ野心が隠されているに違いありません。わたしの『美術館マンスリー』の次回テーマは『靖国神社遊就館』ということなので、いわゆる人間の情念の露出というべき〈心性史〉の側面を持つ『靖国神社遊就館』と、それとは対照的に〈古文書学〉の手法に立っているだろう『日野市立新選組のふるさと歴史館』との比較対照は大変興味深いところです。

皆さん、もうすぐ、64回目の日本の最も長い一日ともいわれる8月15日がやってきます。ぜひ、『日野市立新選組のふるさと歴史館』と『靖国神社遊就館』の両方に行かれて、日本の近代というものが何であったのか、(わたしは今でも近代は繋がっていると思いますが)考えてみてもいいのではないでしょうか。それもまた、供養の一つです。

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文楽

文楽を見に行ってきたました。演目は寿二人三番叟と生写朝顔話。親しいお客さんから、券が余っているからということで誘われて、一緒に女房と小学5年生の娘を連れて行きました。会場は、岐阜市から50㎞ほど長良川沿いを北上した郡上市大和町。高速道路を走って40分位のところです。郡上市と言っても、八幡町、大和町、白鳥町、高鷲村、美並村、明宝村、和良村が合併しただけで、どこも山間ののどかな田舎町です。文楽の感想はさておき、定員350人の会場は満員、大半が地元の人で、年配から年寄りが多いのですが、子供は入場無料なのに私の娘一人。女房と、どうしてかなと話題になりましたが、田舎の親は「そんなもん子供が見ても面白ない」で、都会の親は、「日本の文化だから、見てみたら」、そういう違いではないかということで意見が一致しました。その推察が正しければ、田舎の親の方が自然ですね。但し、わたしが娘を連れて行ったのは家に一人で置いておけなかっただけで、途中からロビーでマンガを読んでいました。

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食いものや賛歌

『食いものや賛歌』1

日本の世の中には、レストランを紹介するブログや、テレビ番組はごまんとある。しかし、一方では、毎日およそ25,000人の人々が飢餓で死んでいるのだ。そのことをよく考えて、食いものの話はしなくてはいけない。さて、そういうことで、『食いものや賛歌』というカテゴリーを設けてから、随分と日が経つわけですが、第1回目は、わたしが週に2回は行くという蕎麦屋(うどん屋)さん。近頃の蕎麦屋というと、高級鮨屋か、料亭かと見まがうようなところや、塩で食えやら、香りをかげなどと、国民の主権を奪う店まである。おまけに高いのだ。食いものや商売で一番暴利をむさぼっているのが、このての蕎麦屋ではないかとも思う。わたしは、「天ぷら蕎麦」で千円以上取る店を蕎麦屋として認めない。蕎麦屋は昔から庶民の味方、庶民のオアシス憩いの場であるはずだ。だから蕎麦屋は先ず安くなくてはならぬ。安くて、儲からなくても、こころを込めて蕎麦を茹でる。蕎麦屋のようなシンプルにこころの通ずる商売は他になかなかない。ツルッとすすればそこのおやじが見えるのだ。

『手打ちうどん なお支店』
岐阜市三番町19番地 tel 058-262-8410
土曜定休 11:30~17:00 駐車場2台

うどん400円、きつねうどん500円、天ころうどん800円、味噌にこみ(並)600円、ざる蕎麦530円、カツ丼600円、天丼650円、天とじ丼700円。

『手打ちうどん なお支店』は、普通の蕎麦屋、うどん屋です。だけどおいしい。

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荒川修作・シンポジウム『これからの都市と美術館』(岐阜県美術館)

昨晩、荒川修作さんをゲストに招いた『これからの都市と美術館』(岐阜県美術館)というシンポジウムに行ってきた。パネラーに、名古屋ボストン美術館館長の馬場駿吉さん、豊田市美術館前副館長の青木正弘さん、岐阜県美術館館長の古川秀昭さん。岐阜市長の細江茂光さん。実は積極的に行こうと思ったのではなく、数日前に古川秀昭さんに誘われたからである。(聴衆動員のためであろう)なかば社交的付き合いが理由であった。シンポジウムは、前半が荒川修作さんのインタビューで後半が荒川修作さんを交えてのディスカッション。いきなり、「本居宣長なんかゴミ箱に捨てろ」で、わたしはこころの中で喧嘩を売ってきたなと思ったが、全体を通じて荒川修作さんは、話の流れとは関係なく自分の言いたいことを言っていたというか吠えていた。荒川修作さんの話は、自分は世界最先端の生命科学者でもあるという話からはじまり、現在に至る近代文明批判、個人や社会の既成概念への批判から、それがいかに人間そのものの未知なる能力、本来備わっている感覚を疎外しているか、そして、人間は300歳までだって生きられるのだと力説し、自分は現代のレオナルドダビンチになるのだと、持論である「芸術、科学、哲学の総合」について語っていた。また、現在の予算を縮小され、思うような活動のできない美術館の現状を憂い嘆く司会役の青木正弘さんに対しては、「いつまでつまらんことを言っているんだ! 美術館なんて不要だからつぶれるんだ!」とさかんに噛みついていた。たしかに、荒川修作さんの言うように、美術館側が思うほど、世間は美術館に期待していないし、必要としていないとわたしも思う。また、お上に対しお金をくださいなんてお伺いを立てるのも情けない。実は青木正弘さんは私の高校三年生のときの担任で、荒川修作さんに叱られて焦っている先生の姿を見ることは愉快でなくもなかったが、往年の青木先生は、この日の小役人のような姿ではなく、生徒のことなんてどうでもいいというふうに、つなぎ姿で、夕方暗くなるまでグラインダーで石を削っていた。また、これも余分な話ですが、古川秀昭さんも青木先生と同じように美術館の現状について語っていましたが、この方も、今から30年ほど前はこんなことをしていたのです。(こんなことについて知りたい方は下のアドレスをクリックしてください) このシンポジウムについて、現在の美術館の在り方について、また、荒川修作について、わたしなりに言いたいことを、ここから長々と書き継ぐのも大変などでこのへんで止めにしますが、古川秀昭さんにしても青木先生にしても馬場駿吉さんにしても、美術館という架せられた枠のなかで、一生懸命にやろうとされていることを、荒川修作さんのように一刀両断に切り捨てることが実のなることだとはわたしは思いません。古川秀昭さんにしても青木先生にしても馬場駿吉さんにしても、荒川修作さんとは違う場所で同じように現在と格闘しているのです。しかし、わたしも荒川修作さんと同じように、無責任なことを一言いうならば、組織というものは、それ自身大きくなろうとする特質を持つが、一方で、組織のなかに帰属する人間を小さくさせるものだと、青木先生の若き頃、古川秀昭さんの『いろはにほへど』を思うと、感じるのであります。

http://www.nagaragawagarou.com/modern-hurukawahideaki.htm

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食いものや賛歌

食いものやさんというのは、私はいい仕事だなと思います。少なくとも今私がやっている仕事よりいい。食いものやさんと言っても、企業化しているところもありますが、私の言う食いものやさんは、家内労働でやっているようなところです。それでそこそこ食えるなら今の私の生きている世界よりどれだけいいか。始終金儲けの話をしているような世界で生きていると、実は人の本当の幸せから遠ざかっていきます。

串を一本一本ハタハタと団扇で煽りながら焼く、茹でたうどんをパッパッと水を切って、さっと丼に入れて、大きな声で「はい、お待たせ」とお客さんに出す。お客さんはつまようじをくわえて、「ごちそうさん」と言う。別にご機嫌を窺ったり慇懃に接しなくとも、こころを込めておいしいものを出せば、その料理がお店の人の気持ちを伝えてくれる。よく「書は人なり」と言いますが、「料理も人なり」です。食いものや稼業も楽ではないよと言われるかもしれませんが、ものを作って、お客さんに感謝されて、それで食っていく。何も自分で作らず、ただ右から左へ、ものを動かすだけで生業(なりわい)とするよな仕事よりどれだけ真っ当か。わたしはつくづくそう思います。

(ですから、私の今の商売も、ちゃんとした仕事が何か、見失わないようにしなければなりません。・・そのための『食いものや賛歌』です。)

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食いものや賛歌

前々回、先輩M成りさんの話を書きましたが、この方、講釈を並べる店もだめなんです。これは塩で食えとか、そのままでとか言われるのが嫌いなんです。それから、偉そうにしている店もだめなんです。無愛想なのはいいんですが、お客の方がへりくだっているような店があるでしょう。だからこの方、鮨屋は基本的に好きではないようです。最近、蕎麦屋でもそんな店がありますね。

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食いものや賛歌

美術商のM成さんという面白い先輩がいます。「岡田君はまだ料理がわかってないんだよ」と言われながら、この人に何軒か飯を食いに連れて行ってもらったのですが、この人の食いものや観みたいなものが私は好きです。一つは値段が高いとところは嫌いなんです。高けりゃ旨いに決まっているだろと言います。もう一つは、人間なんです。作っている人、それが何より肝心なんです。最近は、次はどこへ連れて行ってくれるんですかと言うと、「岡田君はうるせーからな」なんて言って連れて行ってくれませんが、硬派なテーマばかりでも私自身の実像にそぐわないので、シリーズものとして、「食いものや賛歌 」というテーマで、私の好きな料理屋さんを紹介していこうと思います。

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