学校・教育

泣く男

フィギュアスケートの織田信成選手がおいおい泣いていました。それもテレビの前で、小さな子供が泣くようにおいおい泣いていました。小学校6年生の娘にいわせると、6年生の男子でも、先生に叱られたり、女の子と口喧嘩したくらいで泣く子がいるそうです。わたしのような、選挙には行かない、神様には手を合わせない、法を法とも思わないような人間が、国を憂うのもおかしな話しですが、日本は戦争になったら負けますね。こんなことで男が泣くような国は、対等な戦力なら間違いなく負けますね。わたしも、そう勇ましい人間ではありませんが、ともかく、男は敵が来れば、女や子供や家庭を守るために戦わなければならんでしょう。自分の故郷の平和を守るために戦わなければならんでしょう。だから、先ず、『男は泣くな』といわれるわけです。『女みたいにめそめそするな』といわれるわけです。男女平等なんて関係ありません。それが、少なくとも男子教育の基本ではないですか。そうわたしは思いますが、今の日本の教育は違うのですね。もはや日本にそんなことが起きるなんて、まったく今の親たちは夢にも思っていないのですね。織田信成選手がおいおい泣くのを見て確信しました。だからこそ、日本は絶対に戦争をしてはいかん。アングロサクソンのように、戦って平和を勝ち取るなんて思想を持ってはいかんのです。海外へ日本の若者を派兵するなんて絶対にあってはいかんのです。

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市橋達也と「母に捧げるバラード」

市橋達也の親の話しを聞いていたら海援隊の『母に捧げるバラード』を思い出しました。僕は武田鉄矢という人がそう偉い人だとは思わないけれど、この歌の詩は、親の姿の見本として大いに共感できます。この歌の母は、《働いて、働いて、働きぬいて、休みたいとか遊びたいとか、そんな事おまえいっぺんでも思うてみろ、そん時は、そん時は、死ね、それが人間ぞ、それが男ぞ》と言うのです。 休みたいとか遊びたいとか思っただけで、死ねですよ、市橋達也ならどうです。僕は市橋達也のような親がどうだとかではなく、『母に捧げるバラード』には、教育の原点、正しい親子の姿があると絶大に思いますね。

↓武田鉄矢のトークと歌を是非聞いてみてください。

http://www.youtube.com/watch?v=xu2_ZjGs8Ls

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子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ② ・ 塾通い

東京在住の友人S君は依然今度小学校にあがる息子のことで悩んでいた。
彼は熱心な創価学会員であり奥さんも創価学会員である。

「何回も同じことを言ってるけど、小学校の1年生から塾だの通信教育だのいわなくてもいいんだよ。あんた創価学会でしょう? 宗教家でしょう? だったら、人間が幸せに生きていくということがどういうことなのか、何で人間は勉強するのか、どういう人間になってほしいのか、そういうことを真剣に考えたらどうなの?」(私)
「奥さんは何て言ってるの?」(私)
「岡田さんの言うとおりって言ってるよ。」(S)
「偉いじゃない。奥さんがそれでいいならそれでいいじゃない。のびのび育てればいいじゃない。奥さんのほうがあんたよりよっぽどまともで宗教家だよ。」(私)

彼は私が「宗教家」と言ったことに顔を少し赤くした。彼は馬鹿ではないし悪い男ではない。少々信念に欠けるだけだ。彼と私とは仲がいい。日が変わっても相変わらず教育談義をしていた。そこに私より10歳ほど上の先輩がやってきた。私は先回書いたT君の話をして、「こんなのおかしいでしょう?」とばかり話しを振った。その先輩はきょとんとした表情を浮かべて、「うちも同じだよ。うちのほうがもっと凄いよ。僕が毎日送り迎えして、勉強も見てやって、中学入試のとき、息子の誕生日に合わせて25番目の受験票もらうために朝5時から並んだんだよ。」こんな話しが次から次へと繰り出される。私はまずい人に話を振ったなと後悔したがもう遅い。この先輩はS君と違い確信犯だ。私はこの先輩の人生哲学を神妙に拝聴しながらもどこかで(穏やかに)反撃する機会を窺った。この先輩の話しは要するに、「地元(茨城)の学校は荒れている。しかし、息子の可能性は伸ばしてやりたい。できるだけいい環境で勉強をやらしたい。そのために親としてできるだけのことをしてやるのは当然ではないか。そして、塾で苦労してそこで人間として学んだことも決して少なくなかった。」そういうことであったと思う。そしてしみじみとした口調で、「僕は良かったと思うんだよ」と言う。私は内心、「何が良かったのか」と思った。そして、「僕は良かったと思うんだよ」というそのなかに決定的な駄目さがあることを感じた。しかし、こういう人間の思想が違うもの同士の議論が必ずハッピーエンドに終わらないことはこれまでの経験で十分過ぎるほど承知している。

「先輩の話が正しいとか、そうでないということでなくて、学校では寝てなさいと言われ、毎日夜遅くまで塾に通う、そういう今の子供たちの風景のようなものは決してまともなものではないでしょう。僕はそう切実に感じるだけで、僕は今の子供たちが本当に幸せなのどうかということを考えたいんです。」

私はこのことだけを何度か繰り返し言った。本当は毎晩塾の送り迎えをするようなそういう親の姿もまともではないでしょうと言いたかったが・・。
私は、女房にこの話をした。女房は、「あなたのような考えはかなり少数派だと思う」と私に言う。

私はこの先輩の問いかけが頭に浮かんだ。
「岡田さんは自分の仕事を息子に継いで欲しいとは思わないの?」

私はまったく思わないと答えた。私は心底、息子が自分と違うところで、一人でちゃんと生きていってくれたらそれがなによりうれしいことだと答えた。この先輩はこの時だけ理解できないような哀しそうな表情を浮かべた。私は自分のこういう子供への思いも少数派であることを知っている。しかし、こういうところから今の子供たちや学校や、親である私たち自身のことを考えていかなければ、私のような人間の言うことはただの少数派で終わってしまうだろうと思う。

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子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ① ・ 塾通い

「岡田(私)さんの娘さん塾は行っているんですか?」(東京在住の友人S君)
「どこにも行ってないよ。」(私)
「家の娘が今年小学校に入るんでどうしようかなと・・」(東京在住の友人S君)
「俺はね、できるだけ勉強はできないほうがいいと思ってるの、そのほうが金掛からんだろ。」(私)

私は内心、男が子供の教育のことなんかに関心持つなと不愉快な気持ちが持ち上がってくる。S君は横にいるT君の顔を覗きながら、「岡田さんとTさんの教育バトル思い出すね・・」と冗談めかす。S君の言う教育バトルとは以前に私がT君と交わした子供の話だ。T君の娘は小学校5年生である。

「T君は夕飯は何時ころ食べるの?」(私)
「まちまちですよ。娘は塾があるから一緒に食べないし・・」(T)
「娘さんはいつ食べるの?」(私)
「弁当持って行くんです。4時半ころ女房が塾に送って、帰りは10時過ぎになるんで。」(T)
「それって毎日じゃないでしょう?」(私)
「月曜から金曜 までですよ。」(T)
「それじゃあ疲れちゃうでしょう?」(私)
「塾の先生が学校では寝てないさって言うんだそうです。」(T)
「はあぁーん」(私)
「T君ね、あんたそういうことに何の疑問も感じないの?」
「はぁ・・」(T)
「はぁ、じゃないんだよ!」(私)
「はぁ・・」(T)
「あんたね、おかしいと思わないの? 子供がかわいそうだと思わないの?」(私)
「子供も(塾に)行きたいと言うんで・・」(T)
「あのね、子供というのはね、親に褒められたいと思うの、期待に応えたいと思うものなの。あんた、いい学校に行かせたいのか、いい会社に行かせたいのかしらんけど、親のね、勝手なつまらん価値観を押しつけられて、そんな生活を毎日させられて、子供が塾に行きたいと言うんで・・、はあぁーん・・、阿呆ちゃうかと言いたいわ。そんなもの親の虐待に等しいじゃないか。」(私)

ここにきて私の内心の怒りはピークに達するがそんな気持ちをまともにぶつけたって通じる相手ではない。しかし、憤懣やるかたないとはこういうときに使う言葉だ。Tに対し、Tの娘の母親に対し、塾に対し、学校に対し、今の世の中に対し。

現在、次の長良川画廊の企画で、『今、学校を考える・川口半平、野村芳兵衛の生きた時代』(仮題)を計画中なので、それと関連付けながら、今の親、学校、子供について思うことをこのブログでも綴っていこうと思います。ご意見があれば遠慮なく寄せていただき、今、子供たちは声なき悲鳴をあげていると私は思いますので、緊急、切実な問題として、多くの人と意見を交わすことができればと思います。

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