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寄付

 昨日は、東京美術倶楽部というところで仕事があって、そこでもまた、熊本地震の寄付金を求められました。寄付行為というものは、本来、極めて個人の自由に委ねられるべき社会的行為であって、またそれは、それぞれ個人が、憲法19条で保障された『思想、信条の自由』を発揮する機会でもあるわけです。寄付を求める側は、あたかも人間の良心に従って、当たり前のように熊本地震被害者のための寄付金(あるいは、義援金、支援金)を求めますが、寄付しないという立場もあるし、さらにいえば、民主主義の根幹というものは、その理由の如何に関わらずその個人の自由が尊重されなければならないのであって、具体的には、そこに強制力が働かないように、寄付を求める側は、自由な判断でよいことをまず明言しなければなりません。

   私自身は、これまで寄付を求められて、それに応じたことはありません。それは、寄付を求める側にも、寄付をする私自身にも何か釈然としないものを感じるし、私なりの寄付への考え方があるからです。
 以前、町内会に属していたとき、その町内会の役員さんから、緑の羽根募金を求められ、それを断ると、その役員さんは非常に憤慨されて帰って行かれました。こういう場面は、寄付に関わることでなくとも、何かを同調するように求められて、何度も経験したことがあります。私はそういうことに慣れている方だと思います。しかし、そういう場面に遭遇する度に、この国の暮らしにくさというものを感じるし、そういう小さな共同体(町内会)によって成り立つ社会は、民主主義に悖る社会だと私は思います。

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