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2016年4月

ゲスの極みと憲法そして信仰について、その2

  最初に『ゲスの極み乙女』という名前を聞いて、何もんや?と思いましたが、ベッキーとの不倫がばれて、その後の身の処し方を見ると、いたって普通なので、なーんだと思いました。ゲスといのは、下衆ということですから、要するに最低な人間で、さらにその最低の極みだと自称しているわけです。ある意味、こんなカッコつけはないわけです。世間は表向き社会道徳を剣にして彼らを批判していますが、実は世間の一人一人の心の内はそうではなく、なーんだと、彼らの見せかけの不倫に失望しているのだと私は思います。

  男女の関係、そう言うと同性愛を除外してしまうので、吉本隆明さんの言葉を借りて〈対なる〉関係と言いますが、世間の一人一人の心の内が彼らに失望するのは、対なる関係の内に、嘘のない真実の関係を期待するからです。その期待が世間においては、吉本隆明さんの言葉を借りれば、道徳という〈共同幻想〉になって現れるのです。

  私がここで言いたことは、その個人の心の内に、本当の倫理性というものが現れるのであって、世間の批判の内にある道徳などというものは、何の根拠もない社会通念(共同幻想)に過ぎないということです。

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ゲスの極みと憲法そして信仰について、その1

 ゲスの極み、乙武洋匡、宮崎謙介と世間は不倫に厳しいのか、妬んでいるのか、特にテレビや週刊誌は盛んに批判するけれど、少なくとも彼らの人間性を法的に批判する根拠はどこにもないのです。

 その点について言えば、不倫をしてはいけないとか、不貞行為はダメだとか、そんなことは民法のどこにも書いてはありません。不貞行為が離婚理由になるということはありますが、それは婚姻の契約としての問題であって道徳倫理について書かれているわけではありません。憲法第24条には、

〈婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。〉とあります。

ここにも不貞行為、不倫がダメだと書いてあるわけではありません。後段部分の〈相互の協力により、維持されなければならない。〉は、暗に不倫と不貞行為による離婚を戒めているようにも読めますが、本来は、前段部分の婚姻の理念に反する文言であり、夫婦が両性の合意のみに基づくのであれば、その先が不仲であろうが離婚しようが要らぬお節介なわけです。

  このような文脈の違和感は、憲法の随所に見られることで、話が横にずれますが、憲法第9条、〈日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。〉の文言も、国権の発動たる〈戦争〉と最初に明記し、そしてそれを永久に放棄すると言いながら、武力による威嚇とか、武力の行使とか、余分な文言を後ろに続けるのは、文章としても間違っていますし、文章の趣旨を曖昧にする不要な文言なわけです。さらに言えば、憲法全体の趣旨からも、日本国憲法前文において、恒久の平和を念願し、国民主権と基本的人権の保証すると宣言するのであれば、憲法第24条の後段部分である〈相互の協力により、維持されなければならない。〉は、不要な文言であり、憲法第9条においても、〈国際紛争を解決する手段として〉は不要な文言であり、憲法前文の最後に書かれた〈日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。〉という憲法の決意にも反することになるのです。

   ゲスの話しが発展して法律論になり、さらに憲法第9条にまで話が至りましたが、せっかくですので、ついでに申し上げれば、憲法前文において、〈日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。〉と書かれているのですから、つまり、〈平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼〉することによって、憲法第9条はそれに従い、自衛も含めた一切の戦法行為をしてはならないと読まなければ、日本国憲法の正しい読み方にはならないのです。

(続く)

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