« ゲスの極みと憲法そして信仰について、その1 | トップページ | 寄付 »

ゲスの極みと憲法そして信仰について、その2

  最初に『ゲスの極み乙女』という名前を聞いて、何もんや?と思いましたが、ベッキーとの不倫がばれて、その後の身の処し方を見ると、いたって普通なので、なーんだと思いました。ゲスといのは、下衆ということですから、要するに最低な人間で、さらにその最低の極みだと自称しているわけです。ある意味、こんなカッコつけはないわけです。世間は表向き社会道徳を剣にして彼らを批判していますが、実は世間の一人一人の心の内はそうではなく、なーんだと、彼らの見せかけの不倫に失望しているのだと私は思います。

  男女の関係、そう言うと同性愛を除外してしまうので、吉本隆明さんの言葉を借りて〈対なる〉関係と言いますが、世間の一人一人の心の内が彼らに失望するのは、対なる関係の内に、嘘のない真実の関係を期待するからです。その期待が世間においては、吉本隆明さんの言葉を借りれば、道徳という〈共同幻想〉になって現れるのです。

  私がここで言いたことは、その個人の心の内に、本当の倫理性というものが現れるのであって、世間の批判の内にある道徳などというものは、何の根拠もない社会通念(共同幻想)に過ぎないということです。

|

« ゲスの極みと憲法そして信仰について、その1 | トップページ | 寄付 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/223840/63510886

この記事へのトラックバック一覧です: ゲスの極みと憲法そして信仰について、その2:

« ゲスの極みと憲法そして信仰について、その1 | トップページ | 寄付 »