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2016年2月

チリ紙交換と托鉢

   自宅にたまった新聞を縛っていると、その度に、20代の初めにチリ紙交換をしていた時を思い出します。私の実家は古本屋をしておりましたので、時々チリ紙交換のおじさんが古本を売りにやってきます。私はその頃、西濃運輸の集配運転手をやめて古本屋の手伝いをしていました。チリ紙交換のおじさんから、真面目に働けば月20万近くは稼げると聞いて、古本屋の手伝いをやめて、それから2年ほどチリ紙交換の仕事をします。ちょうど子供が生まれた頃で、雨が降らない限りは、毎日朝8時に家(市営住宅)を出て夕方6時に家に帰ります。仕事の途中、知り合いに出くわすのは嫌でしたが、家族三人の生活も成り立って、家に帰って飲む一杯のビールが、この頃ほど美味しく感じたことはなかったように思います。
   
 私にとってこのチリ紙交換の経験は、私の人間や社会の見方に、少なからず影響を与えたと思います。説明するまでもありませんが、チリ紙交換という仕事は、トラックに拡声器を付けて、『ご町内のみなさま、こちらはチリ紙交換車でございます。古新聞、古雑誌、ダンボール、古布などございましたら、トイレットペーパー、チリ紙と交換しております。』とアナウンスしながらできる限り網の目のように路地から路地をまわります。立派なお屋敷もあれば、六畳一間の安アパートまで、一度はヤクザの事務所に呼ばれたこともありますが、いうなれば、上から下まで、ありとあらゆる階層の人々とその暮らしぶりを垣間見るわけです。今から振り返るとその当時は、他人との境界が今よりも緩かったのでしょうか、呼ばれると、たいがいは靴を脱いで家の中まで入って、押入れの中に積まれた新聞をビニール紐で縛ってまとめます。その間、缶ジュースをホイと渡してもらったりとか、ご苦労様やねと声を掛けてもらったりとか、そんなことは一度たりともありません。また、トイレットペーパーは要らないよ、持って行ってくれたらいいと言われたらことも一度たりともありません。

 出家したお坊さんが雲水となって托鉢の修行をします。私のチリ紙交換時代はそれに似ているとも思うのです。出家するというのは、家も仕事も、親も家族もお金も一切を捨てて、無一物になって仏道に入ることです。今は出家僧などいませんので、お坊さんも我々と同じ在家です。僧侶というのは世間の一職業と変わりません。変わらないというよりも、お坊さんのほうが庶民より金持ちで、上等な畳の上で暮らしをしています。さらに言えば、お坊さんよりも、他の仕事をしている人のなかに、深い信仰を感じる人がいます。さて、なぜ私のチリ紙交換時代が、托鉢の修行に似ているかと申しますと、修行僧が無一物になって托鉢をするのは、世の中の最も低いところに身を屈(かが)めるということです。托鉢というのは乞食と同じですから、乞食となって、最も低いところから世の中を見上げるということです。そうしますと、飢えて苦しむ人の気持ちも、隙間風の吹き込むあばら家に住む人の気持ちもわかります。それ以上に、人間の裏側の姿をよく見渡せるのです。

 仏教の専門家の方が、どう言われるかは知りませんが、出家をするということの一つの意味は、そういうことだと私は思います。チリ紙交換は乞食になったわけではありませんが、私は、そんなふうにこの頃のことを思い出します。それは人間と社会の実像を考える上で、良き経験であったと思っています。

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清原選手

 友人とは何でしょう、友情とは何でしょう。 清原選手が警察に捕まって、彼の友人だと称する人たちが彼についてコメントをして、残念だとか、悲しいとか、殴ってやりたいとか発言をしています。 友人にもいろいろあるけれど、真の友人と呼べる人は、何か困ったとき、できる限り力になろうとする人のことではないか、何か辛いことがあったとき、悲しいことがあったとき、自分の出来事のように気持ちを寄せてくれる人のことではないか。 清原選手の真の友人であるなら、彼を助けてやらなければならないではないか、彼の無実を信じてやらなければならないではないか。残念と言った彼の友人と称する人がいる。残念とはどういうことか、彼が犯罪を犯して何が残念なのか。こんな犯罪人の友人であったことが残念だということか。彼が華やかりし頃は、友人である事を誇らしく思っていたのではないか。殴ってやりたと言った彼の友人と称する人がいる。彼がもし罪を犯していたのなら、彼はその刑罰を受ける。それだけで十分ではないか。なぜ、友人であった者が、さらに彼に罰を与えるのか。

憲法第31条
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 彼の本当の友人であるなら、彼が罪を犯したことが真実であるなら、何も言わず黙るしかないではないか。 黙って、彼が暗闇に落ちなければならなかった、その苦しみが何であったのかを思って考えてやることしかないではないか。

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『知と愛』を再開することにしました。

 お久しぶりです。前回の日付は2010年2月24日ですから、ほぼまるっと6年休止していたことになります。休止していた一番大きな理由は、中途半端な言葉でしか語れない自分が恥ずかしくなったからですが、その気持ちは今も変わりませんが、こうして再開することにしたのは、一方で書きたい欲求が溜まっていたということと、昨日の出来事なのですが、思文閣という日本最大の書画屋で働くKさんから、ふいに「仕事の合間に岡田さんのブログを読んでいるんです、今は書いていないのですね」と言われ、私のようなものの言葉に耳を傾けてくれる人がいたことが嬉しくて、嬉しさ余って、「また今日から書き始めるよ」と言ってしまったからです。 そんなことで、Kさんの所為にして、いえ、Kさんに感謝して、再開することにした次第です。

 さて、この『知と愛』を始めたのが2007年10月 3日で、そのとき以下のように記しておりました。 

ブログなんぞを始めることにしました。できるだけ毎日書こうと思いますので、続けられれように、さらりさらりと世の中への恨み辛みなど綴っていこうかと思います。

―タイトルの由来
私は親父が古本屋で、本のかび臭い匂いの充満した家で育ったせいか、子供の頃から本が嫌いで、おまけに親父が「本を読まない人間は駄目な人間だ」などと始終言うような人間でしたから、真っ当に成長していた私は当然読書嫌いになり、それでも高校生時分になると嫌々でも読書感想文など書かされて、そんな頃に多少なりとも本を読む面白みというか、小説の世界にいざなう感覚を経験したのがヘッセの『知と愛』ではなかったかなと思います。いうなれば私の最初の「読書体験」です。そんなことを本棚を眺めていてふと思い出したので、まあ、何でもいいかとブログのタイトルに拝借することにしました。

―テーマと目的
テーマはフリーですが、一応タイトルの『知と愛』を東洋風に意味をこじつけて、『知』は、儒教的なあるいは仏教的(禅的)な「意志」。『愛』は、国学でいうところの「情(こころ)」。
「漢心(からごころ)」と「大和心」といいかえても、「吉田松陰」と「本居宣長」といいかえてもいいですが、要するに、日本の古き文化、日本人の古きこころをエッセンスとして、今、此処(ここ)を、わたしなりの言葉で綴っていければと思います。

 そして8年を経て、新バージョンということで、タイトルは『知と愛』のままで、私の気持ちのなかでは、『愛』を信ずるの『信』に変えて、たぶんそれがこの8年間、私が最も関心を寄せたことであり、私自身が変わったところでもありますので、それが私自身の成長であると信じて、毎日というわけにはいきませんが、折々のおいて思うことを書いていこうと思います。

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