« 2009年8月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

吉田松陰

このブログのタイトル『知と愛』の知は、儒教的なあるいは仏教的(禅的)な「意志」。愛は国学でいうところの「情(こころ)」ということで、「漢心(からごころ)」と「大和心」といいかえても、「吉田松陰」と「本居宣長」といいかえてもとこのブログの最初に書いたのですが、吉田松陰という人は実は情の人であり愛の人であって、そう言う意味では愛があってこその知であって、本当に偉い人というのはみなそうなんだろうと思います。

吉田松陰が江戸伝馬町の獄で弟子たちに書き残した「留魂録」の有名なくだりです。

《今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。蓋し彼禾稼を見るに、春種し、夏苗し、秋苅、冬蔵す。秋冬に至れは人皆其歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為り、村野歓声あり。未た曾て西成に臨て歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾行年三十、一事成ることなくして死して禾稼の未た秀てす実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然ども義卿の身を以て云へば、是亦秀実の時なり、何ぞ必しも哀まん。何となれは人事は定りなし、禾稼の必す四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十、百は自ら五十、百の四時あり。十歳を以て短とするは蟪蛄をして霊椿たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして蟪蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずとす。義卿三十、四時已に備はる、亦秀で亦実る、其秕たると其粟たると吾か知る所に非ず。若し同志の士其微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未た絶えず、自ら禾稼の有年に恥さるなり。同志其是を考思せよ。》

私は30歳で生を終わろうとしている。私はいまだ一つも成し遂げることがなくこのまま死ぬのは、穀物が花を咲かせず、実をつけなかたことに似ているから惜しむべきことのようであるがそうではない。私も花咲き実りを向かえたのだ。春には種をまき、夏には苗を植え、秋に刈りとり、冬にそれを蓄える。農事に四季の巡りがあるように、人間のにも同じように四季があるのだ。10歳の死にも、20歳の死にも自ずと四季があり、私も自ずと四季があったのだ。それが単なるもみ殻なのか、成熟した栗の実であるかは私のしるところではない。もし、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくことと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。

だから今淡々と死を向かえると言うのです。

吉田松陰のこういうところが、本居宣長の嫌った儒教的一面とも思えますが、実はそうではないです。本居宣長の「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」と同じ大和心、同じ心持ちなのです。たわわに実った稲穂も、朝日に匂ふ山桜花も、人間の命も、同じだということです。人間の寿命は自分で決めることはできない、しかし死はかならずやってくる。死ぬということは自然に帰るということです。自然の営みとともに人間の営みがあり、自然に生かされ、自然のなかに帰るということです。はかないけれど、悲しいけれど美しい。古来の日本人は、命をそういうふうに感じてきたのです。しかし、誤解しないでください。本居宣長も吉田松陰も、神風特攻隊のようにお国のために死ぬことが美しいと言っているのではない。死を思うことによって生を思い、生を思うことによって死を思うのです。たわわに実った稲穂も山桜花も、生の輝き、生への渇望があるからこそ、美しいなと、こころにしみるように感じることができるのです。

今日10月27日は吉田松陰の命日らしいです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2009年8月 | トップページ | 2009年11月 »