『日本はもう少し個人が自立した社会になれないか』
個人が自立した社会というのは、国に対しての一個人、会社に対しての一社員、学校であるなら、学校に対しての一教員、あるいは個人でなくとも、文部科学省に対しての教育委員会、教育委員会に対しての学校であってもいい。そういう個にあたる者が統括するものに対し単純に安易に受動的に従うのではなく、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動する、そういう個によって成り立つ社会、それが本当の民主社会、成熟した自由な市民社会であって、そういう社会であるべきだと私は思う。では、今の現実の日本の社会はどうか、個人は自ら考え、自ら判断し、自ら責任を負って行動をしているか、そうではないだろう。それとは反対に自ら責任を負うことを恐れ保身にのみ汲汲としてはいないか。さらに、日本人は北朝鮮人と同じように元来が全体主義気質なようであるから、すべてが白に染まることにも赤に染まることにも、それを気味悪いとか気持ち悪いとか異様であると感じる感性に乏しい。結果、列を成してその列からはみ出さないことばかりに神経をすり減らし物事の本質を見失う。そして憂うべきはマスメディアである。私はマスメディアの特にテレビ局に大いに問題を感じる。例えばつい先日のテレビ朝日の報道ステーションでは、民主党と自民党を比較した世論調査について《それは意外なものであった・・》とCMの直前でナレーションを流しその結果をCMの後に続けた。《それは意外なものであった・・》と感じたその主体は誰か、こういうその主体のわからない安易で無責任なアナウンスを今のテレビ局は平気でする。私はテレビ局がテレビ局の意見や感想を述べるなと言うのではない。述べるのであれば、「どうなんでしょうか・・・」とか、意味の分からない表情で次のニュースに移るのではなく、はっきりと「私はそう思います」とか「そう考えます」とその主体とその意見をはっきり示すアナウンスをするべきである。そして、(新型インフルエンザについて)冷静に対応してくださいといいながら、逆に不安を煽るようにセンセーショナルに喧伝するのであれば事実を正確に坦々と伝えることに徹するべきである。私は先に挙げた国であるとか会社であるとか学校であっても同じように、組織はその中心に真っ当な見識があってはじめて真っ当に機能するのだと思う。そういう中心のない組織は翻っていえば、責任の所在のわからない組織であり、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動するという個人の自立した姿をそこに想像することのできない組織である。今のテレビ局や新聞はそういう組織ではなく真っ当な見識が働く真っ当な組織であると断言できるであろうか。問題はそういう組織が巨大な影響力を持つメディアを手中に持ってそれを行使するということである。さて、原点に戻る。日本人はどんな場面でも、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができるか。日本人は先に挙げた、国、会社、学校のような個人を統括するものが個人を覆い個人の上に聳えるものだと信じてはいないか、国の組織、政府や検察や裁判所をいまだに『御上』だと信じてはいないか、テレビや新聞の報道を鵜呑みにしたり煽られたりしてはいないか。私はなにもそれらを信じるなとか無用であるとか言っているのではない。もしそういう組織が私たち個人を覆う絶対で巨大なもであると思うのならそれは幻想であると言っておきたいのだ。逆の言い方をすれば、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができる個人によって成り立つ組織は、組織であっても個人の顔が見え、その意志の所在、その責任の所在が個人にあってそれが見えるということである。旧日本軍という組織が真っ当な組織として機能せず、無謀な戦争へと突き進んでしまったその原因の本質は、その中枢に真っ当な見識を有する個人が存在せず、さらに、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができる個人によって成り立つ組織が個人の見えない、責任の所在の見えない組織に変貌していったことに他ならない。
日本はもう少し、個人が自立した社会になならなければならないのではないか。
付記
去る21日、京都で1名の新型インフルエンザ感染者が発生したことによって京都府教育委員会は、京都市にあるすべての府立学校を翌日より6日間の休校とし、同志社、立命館などほぼすべての大学がそれに追随し6日間の休校措置をとった。そのなかで京都大学は【新型インフルエンザに対する本学の方針について】として次のような声明を発表した。
【京都市内において新型インフルエンザの感染が確認されたところです。また、京都市、京都府から休校も要請されているところでもあります。本学においては、今回の新型インフルエンザへの対応のため、感染症対策会議およびインフルエンザ対応専門家グループを設置し、医学的、生物学的見地をふまえ対応方針(最新の方針は平成21年5月20日付け第4版)を決定してきたところです。 今回の、京都市内においての感染確認をふまえ、上記対策会議等で検討の結果、本学においては、現時点においては、通常どおりの授業を行うこととします。 なお、今後、流行範囲および規模、病原体の毒性の程度、学内感染の有無等の状況により、現在までの取扱いと同様に専門家の意見をふまえたうえで総合的に評価を行い、状況によっては全学一斉休校・・】
私は京都大学独自の措置が正しいとか正しくないということではなく、そこに大学としての自立の精神があり、さらに、大学の中枢に一つの見識があり、その見識が機能する組織であるということであり、つまりは、京都大学学長の見識と責任がはっきりとそこに見えるということである。余談であるが、正岡子規は雑誌「ホトトギス」を学校令の下に束縛されている学校に比して、不羈独立、やりたい放題の私塾のようなものだと喩え、私塾には一種の気風があると言った。インフルエンザの対応で揶揄するつもりで言うのではなく、私塾にそういう一種の気風があって個性的な人材を育てるのだろうと思う。
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