子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ② ・ 塾通い
東京在住の友人S君は依然今度小学校にあがる息子のことで悩んでいた。
彼は熱心な創価学会員であり奥さんも創価学会員である。
「何回も同じことを言ってるけど、小学校の1年生から塾だの通信教育だのいわなくてもいいんだよ。あんた創価学会でしょう? 宗教家でしょう? だったら、人間が幸せに生きていくということがどういうことなのか、何で人間は勉強するのか、どういう人間になってほしいのか、そういうことを真剣に考えたらどうなの?」(私)
「奥さんは何て言ってるの?」(私)
「岡田さんの言うとおりって言ってるよ。」(S)
「偉いじゃない。奥さんがそれでいいならそれでいいじゃない。のびのび育てればいいじゃない。奥さんのほうがあんたよりよっぽどまともで宗教家だよ。」(私)
彼は私が「宗教家」と言ったことに顔を少し赤くした。彼は馬鹿ではないし悪い男ではない。少々信念に欠けるだけだ。彼と私とは仲がいい。日が変わっても相変わらず教育談義をしていた。そこに私より10歳ほど上の先輩がやってきた。私は先回書いたT君の話をして、「こんなのおかしいでしょう?」とばかり話しを振った。その先輩はきょとんとした表情を浮かべて、「うちも同じだよ。うちのほうがもっと凄いよ。僕が毎日送り迎えして、勉強も見てやって、中学入試のとき、息子の誕生日に合わせて25番目の受験票もらうために朝5時から並んだんだよ。」こんな話しが次から次へと繰り出される。私はまずい人に話を振ったなと後悔したがもう遅い。この先輩はS君と違い確信犯だ。私はこの先輩の人生哲学を神妙に拝聴しながらもどこかで(穏やかに)反撃する機会を窺った。この先輩の話しは要するに、「地元(茨城)の学校は荒れている。しかし、息子の可能性は伸ばしてやりたい。できるだけいい環境で勉強をやらしたい。そのために親としてできるだけのことをしてやるのは当然ではないか。そして、塾で苦労してそこで人間として学んだことも決して少なくなかった。」そういうことであったと思う。そしてしみじみとした口調で、「僕は良かったと思うんだよ」と言う。私は内心、「何が良かったのか」と思った。そして、「僕は良かったと思うんだよ」というそのなかに決定的な駄目さがあることを感じた。しかし、こういう人間の思想が違うもの同士の議論が必ずハッピーエンドに終わらないことはこれまでの経験で十分過ぎるほど承知している。
「先輩の話が正しいとか、そうでないということでなくて、学校では寝てなさいと言われ、毎日夜遅くまで塾に通う、そういう今の子供たちの風景のようなものは決してまともなものではないでしょう。僕はそう切実に感じるだけで、僕は今の子供たちが本当に幸せなのどうかということを考えたいんです。」
私はこのことだけを何度か繰り返し言った。本当は毎晩塾の送り迎えをするようなそういう親の姿もまともではないでしょうと言いたかったが・・。
私は、女房にこの話をした。女房は、「あなたのような考えはかなり少数派だと思う」と私に言う。
私はこの先輩の問いかけが頭に浮かんだ。
「岡田さんは自分の仕事を息子に継いで欲しいとは思わないの?」
私はまったく思わないと答えた。私は心底、息子が自分と違うところで、一人でちゃんと生きていってくれたらそれがなによりうれしいことだと答えた。この先輩はこの時だけ理解できないような哀しそうな表情を浮かべた。私は自分のこういう子供への思いも少数派であることを知っている。しかし、こういうところから今の子供たちや学校や、親である私たち自身のことを考えていかなければ、私のような人間の言うことはただの少数派で終わってしまうだろうと思う。
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