さようなら
先日親しい親戚の女性が亡くなりました。5年ほど前に悪性リンパ腫を患い、途中元気に日常生活を送れたこともありましたが結局は駄目でした。年は63歳でしたからわたしより16歳上で、表面的には好き嫌いがはっきりして、男っぽいというよりは可愛い子ぶりっことは対極にあるような女性でしたが、実は繊細で思いやりのある優しい人でした。子どものころの記憶というのは、断片的な場面であってもそのときの気持ちや気配の手触りのようなものまでこころのなかに刻まれているものです。わたしが小学校の2、3年生のころ、ボーリング場に連れて行ってくれて、そのころはボーリングがブームで早朝から出掛けたと思うのですが、静かで人の気配のない道を並んで歩きながら、ふと横を見上げたその人の面影であるとか、同じころ祖母は一人で下宿屋を営んでいて、祖母が旅行に出掛けるというので二人で一晩その家で留守番をして祖母のベッドで一緒に寝るのですが、そのときの蒲団の温もりとその女性の肌の色の残像であるとか、わたしの母が亡くなる一ヶ月ほど前、私の父と弟二人と大晦日の夜を病院で過ごしているとき、その人が年越し蕎麦を届けてくれてすぐに帰って行ったときの後ろ姿であるとか、わたしの高校の入学式のとき何か忘れ物を届けてくれて、後からわたしがまわりに恥ずかしそうにして早く帰ってという感じだったと、わたしを横目に祖母に話しをしていたときのことであるとか。こうして記憶を辿っていると懐かしい場面や出来事が次々と思い出されます。結婚や出産や子供の進学のときは必ずお祝いをくれた人でとにかく律儀で気前がよかった。そういえば何の躊躇もなく私を心配して「お金が要るの、いくら要るの」と言ってくれもした。わたしのような弟が困って金を借りにきても、冷たく「貸さない」といい放つ人間とは人間の情が違った。そういう本当に思いやりのある優しく無私な女性でした。わたしは結局お見舞いに一度しか行かず、病気になってからは距離を置くようになってしまったけれど、わたしにとってはある意味で母親代わりでもあった人かと思います。わたしのような神も仏も信じぬ人間は、ただ死者に向かって頭を垂れることしかできませんが・・・。
わたしは今日こんな個人的なことを書こうとしたのではなく、最近の結婚式や葬儀に使われるなんとかセレモニーホールとかいうような、張りぼてな安っぽくて味気ない、宗教色がなく未来的な無機質な感じも悪くないと言う人がいるかもしれないけれど、こういうところで葬式や結婚式をしていては、いろんなことが貧しく寂しくなりはしませんか。そういうことについて書こうと思ったのですがまた別の機会にいたします。
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