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2009年2月

子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ① ・ 塾通い

「岡田(私)さんの娘さん塾は行っているんですか?」(東京在住の友人S君)
「どこにも行ってないよ。」(私)
「家の娘が今年小学校に入るんでどうしようかなと・・」(東京在住の友人S君)
「俺はね、できるだけ勉強はできないほうがいいと思ってるの、そのほうが金掛からんだろ。」(私)

私は内心、男が子供の教育のことなんかに関心持つなと不愉快な気持ちが持ち上がってくる。S君は横にいるT君の顔を覗きながら、「岡田さんとTさんの教育バトル思い出すね・・」と冗談めかす。S君の言う教育バトルとは以前に私がT君と交わした子供の話だ。T君の娘は小学校5年生である。

「T君は夕飯は何時ころ食べるの?」(私)
「まちまちですよ。娘は塾があるから一緒に食べないし・・」(T)
「娘さんはいつ食べるの?」(私)
「弁当持って行くんです。4時半ころ女房が塾に送って、帰りは10時過ぎになるんで。」(T)
「それって毎日じゃないでしょう?」(私)
「月曜から金曜 までですよ。」(T)
「それじゃあ疲れちゃうでしょう?」(私)
「塾の先生が学校では寝てないさって言うんだそうです。」(T)
「はあぁーん」(私)
「T君ね、あんたそういうことに何の疑問も感じないの?」
「はぁ・・」(T)
「はぁ、じゃないんだよ!」(私)
「はぁ・・」(T)
「あんたね、おかしいと思わないの? 子供がかわいそうだと思わないの?」(私)
「子供も(塾に)行きたいと言うんで・・」(T)
「あのね、子供というのはね、親に褒められたいと思うの、期待に応えたいと思うものなの。あんた、いい学校に行かせたいのか、いい会社に行かせたいのかしらんけど、親のね、勝手なつまらん価値観を押しつけられて、そんな生活を毎日させられて、子供が塾に行きたいと言うんで・・、はあぁーん・・、阿呆ちゃうかと言いたいわ。そんなもの親の虐待に等しいじゃないか。」(私)

ここにきて私の内心の怒りはピークに達するがそんな気持ちをまともにぶつけたって通じる相手ではない。しかし、憤懣やるかたないとはこういうときに使う言葉だ。Tに対し、Tの娘の母親に対し、塾に対し、学校に対し、今の世の中に対し。

現在、次の長良川画廊の企画で、『今、学校を考える・川口半平、野村芳兵衛の生きた時代』(仮題)を計画中なので、それと関連付けながら、今の親、学校、子供について思うことをこのブログでも綴っていこうと思います。ご意見があれば遠慮なく寄せていただき、今、子供たちは声なき悲鳴をあげていると私は思いますので、緊急、切実な問題として、多くの人と意見を交わすことができればと思います。

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昨今の美術商業界について。

今回は少々、私の商売の宣伝をさせてください。

今、この経済状況のなかで、当然ではあるのですが、特に高額なものが厳しい、売れないといわれています。絵画に限っていえば、川合玉堂、竹内栖鳳、横山大観、前田青邨、橋本関雪、堂本印象、山元春挙といった近代日本画の巨匠。こういう所謂新画といわれる世界の大御所の作品が売れないといわれます。そして、そのことが全体に悪影響を与えているという印象を受けます。しかし、それは単純に経済情勢に因るのでしょうか。これまで、百万円以上の高額絵画の80%以上が百貨店を通じて販売されているといわれてきました。つまり、言い換えれば、百貨店で絵画が売れないということです。私は、その要因が、単純に経済状況に因るのではなく、美術品における百貨店商売、あるいはその商法が急速に破綻しつつあるのではないかと感じます。これは、百貨店に出入りする業者から日頃普通に聞かされることですが、百貨店という世界は、安いと売れないのだそうです。高いほうが売れる。私の印象を控えめに継ぎ足せば、交換会(業者のオークション)で120万円の川合玉堂であれば、300万円前後のプライスカードが付いているという具合に。そして、お客が買う気のあるときに、食わせるだけ食わせるのだそうです。あらかじめ値引きを想定し高いプライスを付け、巧言令色に美辞麗句をならべて食わせる。いえ、お買いいただく。私は、悪いのは業者の側であると思います。しかし、すべての百貨店のお客さんがそうだとはいわないまでも、おおよそ百貨店で絵を買う人というのは、本当にその作家が好きで、その作品が好きで買うのではなく、要するに、百貨店の外商にごひいきにされることに自尊心を満足させて、その有名作家というブランドを買う(買わされる)のではないでしょうか。少々言葉が過ぎたかもしれませんが、しかし、そういう百貨店商売によって、何よりもわれわれ美術商が悲しむべきことは、結局、お客さんを金儲けのために使い捨てにしてきただけで、本当の美術品愛好者を育ててこなかったことではないかと思います。私は、そういう百貨店マーケットというものが、ここにきて急速に縮小しているのは、ただ単に経済的要因だけではなく、そういう百貨店商法に巧く乗ってきた美術商自らの責任ではないかと感じているのです。しかし、それはそれとして、その影響によって新画の価格が下がることは、だからといって、川合玉堂や竹内栖鳳の画家としての価値が下がるわけでは絶対にありませんので、本当に絵の好きな方が、普通の収入のなかで、川合玉堂や竹内栖鳳を買っていただけるのならそれはそれで良いことではないかとも感じております。

少々が長くなってしまいましたが、長良川画廊のこれまでの姿勢もこれからの姿勢も、百貨店があいかわらず高額美術品の主要マーケットであっても、そこで、苦労して仕入れてきた一点一点の作品を売ろうとは全く思いません。今後もできる限り、魅力のある価値ある作品を一点一点大切に私の思いを込めて、みなさまにご紹介していければと考えております。

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さようなら

先日親しい親戚の女性が亡くなりました。5年ほど前に悪性リンパ腫を患い、途中元気に日常生活を送れたこともありましたが結局は駄目でした。年は63歳でしたからわたしより16歳上で、表面的には好き嫌いがはっきりして、男っぽいというよりは可愛い子ぶりっことは対極にあるような女性でしたが、実は繊細で思いやりのある優しい人でした。子どものころの記憶というのは、断片的な場面であってもそのときの気持ちや気配の手触りのようなものまでこころのなかに刻まれているものです。わたしが小学校の2、3年生のころ、ボーリング場に連れて行ってくれて、そのころはボーリングがブームで早朝から出掛けたと思うのですが、静かで人の気配のない道を並んで歩きながら、ふと横を見上げたその人の面影であるとか、同じころ祖母は一人で下宿屋を営んでいて、祖母が旅行に出掛けるというので二人で一晩その家で留守番をして祖母のベッドで一緒に寝るのですが、そのときの蒲団の温もりとその女性の肌の色の残像であるとか、わたしの母が亡くなる一ヶ月ほど前、私の父と弟二人と大晦日の夜を病院で過ごしているとき、その人が年越し蕎麦を届けてくれてすぐに帰って行ったときの後ろ姿であるとか、わたしの高校の入学式のとき何か忘れ物を届けてくれて、後からわたしがまわりに恥ずかしそうにして早く帰ってという感じだったと、わたしを横目に祖母に話しをしていたときのことであるとか。こうして記憶を辿っていると懐かしい場面や出来事が次々と思い出されます。結婚や出産や子供の進学のときは必ずお祝いをくれた人でとにかく律儀で気前がよかった。そういえば何の躊躇もなく私を心配して「お金が要るの、いくら要るの」と言ってくれもした。わたしのような弟が困って金を借りにきても、冷たく「貸さない」といい放つ人間とは人間の情が違った。そういう本当に思いやりのある優しく無私な女性でした。わたしは結局お見舞いに一度しか行かず、病気になってからは距離を置くようになってしまったけれど、わたしにとってはある意味で母親代わりでもあった人かと思います。わたしのような神も仏も信じぬ人間は、ただ死者に向かって頭を垂れることしかできませんが・・・。

わたしは今日こんな個人的なことを書こうとしたのではなく、最近の結婚式や葬儀に使われるなんとかセレモニーホールとかいうような、張りぼてな安っぽくて味気ない、宗教色がなく未来的な無機質な感じも悪くないと言う人がいるかもしれないけれど、こういうところで葬式や結婚式をしていては、いろんなことが貧しく寂しくなりはしませんか。そういうことについて書こうと思ったのですがまた別の機会にいたします。

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