新年も明けると僕の店の駐車場は近くの伊奈波神社(三が日の人出は約60万人だそうです。)に近いこともあって、「岡田さん、車駐めさせてくださ~い」と、必ず誰かから電話がかかってきます。そんなささやかなことですら人の役に立っているようでうれしい気持ちになるのですが、自分はといえば母親の墓に手を合わせたこともないバチ当たり者ですから、お正月の気分を味わいに神社に出向いても神様に拝むということはありません。僕もみなさんと同じように手を合わせて、賽銭を投げて、今年は儲かりますようにとか、健康でありますようにとか、世界の人々が少しでも幸せでありますようにとか祈ってみたいのですが、いまだにそういう自然なというか素直な気持ちになることができず自分でも寂しいのであります。じゃあ拝めばいいじゃないということなんでしょうが、気持ちのどこかで頑張っていたいというか、抵抗したいというか、俺は現代を生きていたいんだというような、祈るというような未開の心性から解き放たれたいんだというような、そういう足掻きみたなものをどうしても捨てることができないのであります。
大晦日の日にNHKの「耳をすませば~あの人からのメッセージ2008~」という番組で去年亡くなった永平寺の宮崎奕保さんと立松和平さんとの対談を放映していました。永平寺の管長といえばそれは偉い人で、曹洞宗の総本山のトップなんですから現代最高峰の禅者の一人というわけです。とは言え、現代に真の禅僧などいないでしょう。世間から隔離された伽藍のなかにいては、秋葉原のネットカフェで正月を越した若者たちにその言葉すら届かないではないですか。今を生きている人間にとって、今、此処がすべてであって、その今此処は絶えず瞬間瞬間でしかない。秋葉原のネットカフェで正月を越した若者たちの今は現実のなかで日々失われていくわけです。以前のこのブログで桃水雲渓という和尚の名前にちょっと触れましたが、この和尚、世に「乞食桃水」と呼ばれる知る人ぞ知る江戸初期の名僧であります。
(ちょと長くなりますが)
桃水和尚は、筑後(福岡県)の柳川に生まれ、7歳で肥前(長崎県)で出家し、曹洞宗もう一つの総本山総持寺にも瑞世した高僧です。断食や露坐を常とし、山中に宿り、河上で座禅をし、寺にとどまることを好まず、日々托鉢に出て、蓄えもせず、食料が余れば乞食に施した。この桃水和尚の有名な話しは、ある日突然寺を出て行方がわからなくなる。桃水和尚は、蓑をまとい乞食の群れに隠れ、草鞋を編んでは糊口をしのいでいた。弟子たちが桃水和尚を捜し、ある日とうとう琛洲という弟子が乞食姿の桃水和尚を見つけ、ぜひ伴をさせてくれと無理矢理後をついて行く。すると傍らに一人の老乞食が死んでいた。桃水和尚はみずから穴を掘りその老乞食の死骸を埋める。それを見ていた琛洲は「ああかわいそうに」と思わずつぶやいた。それを聞いた桃水和尚は、「お前は、なぜこの乞食の死人ばかりをかわいそうに思うか。上は天子さま将軍さまより、下はこの乞食の死人にいたるまで、生まれる時には、糸一筋も、米一粒も持って生まれてくるものはおらぬ。ならば、死ぬ時でも、裸で飢え死にするのが帳尻があうというものじゃ。たとえ百万石の米を蓄えても、時節がくれば、割粥ひとさじが喉を通らぬ。たとえ蔵に満ちる衣装を蓄えても、死ぬ時は経帷子一枚じゃ。この道理に気がつかぬ者は、天子将軍大名富貴が死ねば格別に思うのじゃ。まことに愚かなことじゃ」(面山瑞方原著、乞食桃水逸話集)と琛洲を諭す。そして、その老乞食の枕元にあった食い残しの椀をとり、それをうまそうに半分食い残りを琛洲にこれを食えと渡した。琛洲は一口二口食うがどうしても喉が通らない。桃水和尚はその椀を取り上げすっかり食べてしまう。しばらくすると琛洲は、顔も青ざめすべて吐いてしまった。それを見た桃水和尚は、「お前には無理だ、もう帰れ」と言い、そのかわり仏国寺の高泉和尚を尋ねるように言ったという。
こんな和尚が江戸時代にはいたわけですが、乞食の残飯を食おうが食わまいが、真の禅僧というものは市井にあってこそ、その役割を果たせるのではないかと僕は思います。宮崎奕保さんの話しに戻りますが、その対談のなかで宮崎奕保さんはありきたりな禅の話しをします。(ありきたりがまた禅だ。)
人間は何時死んでもいいと思うのが悟りかと思っておった。
ところがそれは間違いやと気づいた。
平気で生きておることが悟りだ。平気で生きておることは難しい。死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいい。
自然は、立派だ。
何月何日に花が咲いた。何月何日に虫が鳴いた。ほとんど違わない。
真理を黙って実行するということが大自然だ。誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして黙って、褒められても褒められんでも、すべてのことをして黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。
この番組にチャンネルを変える前は鳥越俊太郎のガン闘病を追ったルポルタージュ番組を見ました。大晦日にこういう番組を見なくともという気持ちもありましたが、それでも最初から最後まで見てしまいました。《死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいい》という、現代の禅者の言葉は、現代のガン患者にどうやって届くのでしょう。
現代は永平寺の山深い山中にはなく、また、現代の自然は立派だとばかりは言えない。花が咲くべき時に花が咲き、鳴くべき時に鳥がなかないのが現代だともいえる。
僕は神や仏に手を合わせはしなくとも、たぶん僕に眉をひそめる親戚連中よりは神や仏について真剣に考えていると思う。ここまで長々と綴ってきたのはそれを証明したいささやかな下心も無くはないが、われわれの現実はそんな個人的なものでもないし感傷的なものでもない。今、現代を悩ます最も大きな難問は、イスラームとキリスト教、イスラームとユダヤ教という「イスラームの問題」に他ならないのだから、日本人としてどう考えてどう発言していくかということを、掛け軸を売りながら、そばを打ちながら、子育てしながら、学校へ行きながら、丁稚をしながら、僕たち一人一人が考えないといけない。それが一つの現代の姿であるべきだと僕は思う。
本当は現代の生と死の問題。
それは鳥越俊太郎さんの番組を見ていると強く感じますが、現代人の死への向き合い方として医療の問題だけでなくこころの問題が非常に難しくなっていると感じます。小林秀雄は老人がいなくなったと言いましたがそれも随分昔の話しで、今は老人であることすら許されない社会になったのではないかと思います。人生が老人の域に入り静かに過ごす人生の晩年のようなものがあって死を迎える。自然に老いて息子や娘や孫に囲まれて死んでいく。もはや現代はそうではないわけで、じゃあ、われわれはどうやって死んでいくか、死んでいく親や友人とどう接していくのかということを考えていかなくてはいけない。これは一見イスラームの問題ではなく個人的な問題のようですが、実はそうではなく同じ問題として考えないといけない。それも現代のわれわれの姿であると思う。
こうやって今日は新年を迎えたので、いろいろ思い当たることを書いてみましたが、今年はここまで書いてきたことと同じでいろんなことをやっていかないといけないと思っています。第一に今年は本を読まなくてはいけない。緊急に読まなくてはいけないものが山積しています。それが最大の課題。そして仕事も目一杯やらないといけない。そうしないと食っていけなくなる。
命ある限り、健康であるうちは健康に感謝して、少しでも一歩一歩でも気恥ずかしい言い方ですが、世界のすべての人が少しでも幸せに生きられるように願ってすべてのことを考えてやって行かなくてはいけない。それが現代を生きる個人個人の姿であるべきだとまた思う。