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2009年1月

オバマ大統領の就任演説全文翻訳を読んでもやもやと思うこと。

これは、知人のHさん夫妻と会食したときの話し。Hさん夫妻も娘さんもキリスト教徒である。私はHさんの人柄を知っているし、必ず日曜日は夫婦で朝の礼拝に行かれるので〈敬虔なキリスト教徒〉と言ったほうがいいのかもしれない。Hさんの娘さんが、韓国人の男性と結婚するというとき、その韓国人の男性はキリスト教徒ではなかった。Hさんは、娘と結婚する以上キリスト教徒でなくてはならないと言う。私は、どうしてですかと尋ねた。私は、普段、温厚でユーモアがあってリベラルなその人柄に接しているので、そのときのHさんの頑なな表情が意外であった。Hさんは、重ねてそうでなければ家族が成り立たないと言われた。私は、以前、あるパーティーの席でこの韓国の男性に会って話しをしたときのことを思い浮かべた。彼は光州の出身で、光州事件の真っ只中にいて、投石が頭を直撃して血が噴き出した様子を熱心に語ってくれた。私は彼に酒を勧めた。彼は戸惑いながら横で話しを聞いていたH夫人の顔色を窺っている。H夫人は少し苛立った感情を押し隠したような冷たい表情を浮かべて私にお酒を勧めないでと言った。彼は少しだけと言って、私の勧めた日本酒を一気に喉の奥に流し込んだ。彼はテコンドーの韓国チャンピオンの経歴があって、いかにも韓国人という風情で、頬骨が張っていて、背は高くないが骨が太くてがっしりしている。H夫人は、彼に聞こえぬように小声で、「彼は酒癖が悪いの」と私に言った。彼は、Hさんの娘と結婚するためにキリスト教徒になった。私はHさんの話しに不満であったがそれ以上深入りはしなかった。せっかくの会食が気まずくなるように感じたからだ。

今日、こんなことを書いたのは、オバマ大統領の就任演説全文翻訳を読んでもやもやと思うことがあったからだ。そのもやもやは、たぶん私自身が、《この国はキリスト教徒とイスラム教徒と、ユダヤ教徒とヒンズー教徒と、そして信仰をもたない人たちが集まった国です。》というオバマの持つ国家観の範疇には入らないからだ。私は何も、仏教徒を忘れるなと言いたいのでない。しかし、《そして信仰をもたない人たち》とは何ぞや!キリスト教徒とイスラム教徒とユダヤ教徒とヒンズー教徒以外は《信仰をもたない人たち》なのか。せめて、《あらゆる者は平等で、全ての人が自由で、誰もが最大限の幸福を追求する機会を与えられる権利をもっている》と崇高な理想を掲げ、信仰の自由を謳う国であるなら、《そして多様な信仰を持つ人たち》と言うべきではないか。日本人のこころを描いた画家、川合玉堂は、仏壇も神棚も持たなかった。そして人間の想像した神を信じなかった。しかし、野に咲く花を見て、路傍の石を見て、その姿を写しながらほろほろ涙を流したという。これを《信仰》と言わずに何というのか、これを《祈り》と言わずに何というのか。

オバマ大統領の就任演説全文翻訳を読んでもやもやと思うこと、それを、うまく表現できないから、そのかわりこんなことを書いた。

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ETV特集「吉本隆明語る」を見て思ったこと。

吉本ファンとしては、言葉を発しているその『貌』を見てみたいという欲求は当然あるし、言葉以上の何かを伝えることもあり得るのかもしれない。しかし、それはどういうことなのか。僕は中上健次の実際に言葉を発するその姿を見て、肉体が言葉を絞り出しているような強い印象を受け、そこに中上健次という人の人間の根っ子のようなものをまざまざと見たような気がした。そういうことが、その人の文学の本質どう重なっていくのだろうか。それは一致すると考えていいのだろうか。どこに書かれている文章だったか思い出せないけれど、吉本隆明は、以前、テレビに向けて自分は言葉を語れないという意味で、《書いたことでしか自分は責任をとれない》というようなことを書いていたと思う。小林秀雄は、『ゼークトの「一軍人の思想」』を昭和18年に文学界に書いた。小林秀雄は、これに遡る前年の昭和17年に、ドイツの軍人ゼークトの『一軍人の思想』(岩波新書)を読み、その感銘を語った講演録『歴史と魂』を発表し、さらに、ゼークトの『モルトケ』を読み、《この著者の思想の由って来るところの深く遠いのを知り、感慨をあらたにしたので、また、書いてみようと思う。》(ゼークトの「一軍人の思想」)と、この『ゼークトの「一軍人の思想」』を『歴史と魂』に重ねた。そのなかで小林秀雄は、《自分が精通し熟知した事柄こそ最も難しいと悟る道》こそ、《立派な行為者の道》であり、それを《一種の神秘道》と表現する。そして、《言おうにも言われぬ秘儀》を実行(行為)によって明るみに出すことを「不言実行」であると言い、次のように結ぶ。《文学者にも、無論、不言実行はある。喋る事と書く事とはまるで違った道だ。》と。

吉本隆明は、何を語ろうとしたのか。何を伝えよとしたのか。今、吉本隆明を駆り立てているものは何であったのか。ひょっとして、《言おうにも言われぬ秘儀》を実行(行為)によって明るみ出そうとしたのであろうか。吉本隆明は、83歳の、背中も曲がり、糖尿で歩くことも不自由な痛々しい我が身を引きずって3時間を超えて話し続けた。昔から吉本さんの語り口はたどたどしい。そのたどたどしさが83歳の年齢がさらにたどたどしくさせている。僕はふと、三島由紀夫の最後の演説を思った。吉本隆明は畳の上で死のうとは思わないとどこかに書いていたではないか。もちろん三島由紀夫のように日本刀を振りかざすということではない。吉本隆明は、三島由紀夫とはまったく違う。人間というのはまったく違うということがあるのだと僕は思う。吉本隆明は、徹底的に自分を突き放すことができるのだ。徹底的に自分以外の者のために生きて書くとということが、それが自分のために生きるということであることをとことん知っているのだ。それが、小林秀雄のいう「批評トハ無私ヲ得ントスル道ナリ」ではないのか。

テレビのなかで吉本さんは、言葉をふらふらさせながら語り続けた。何か言葉が吉本隆明の周りをひらひらと舞っているようにも見えた。僕にはそれが楽しい。もちろん吉本さんは伝えたいものがあるのだ。そして僕たちは少しは真剣に考えなければならない。そして、それを知るためには、吉本隆明という文学者が、生涯をかけて書いてきた、その書く者の苦闘の道筋を、僕たちだって、少しは骨を折って辿るしかないのだ。それは、これから吉本隆明という人が存在しなくなっても僕たちがしなければならないことだ。

こうして、思うまま感じたことを書いてきて僕はよくわかった。吉本隆明は文学について語っていたのだ。文学は楽しいぞと、そのことを吉本隆明は僕たちに一番伝えたかったのではないか。

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ETV特集「吉本隆明語る」

今晩、NHK教育で10時から11時30分まで、吉本隆明の特集番組が放映される。
僕が吉本隆明を読むようになったのは、高校を卒業し、結婚をし、働くようになった18歳頃からで、恥ずかしげもなく言うなら、ある時まで、吉本隆明を父親以上の存在に思っていました。当然、僕は吉本隆明の言説から大きな影響を受け、僕の基本的考え方の骨格の一部になっているだろうと思います。そして、今も主著「共同幻想論」を読み返しているところです。僕のような者が、今さら、吉本隆明を語るまでもありませんが、少なくと日本の戦後を背負って発言を続けてきた吉本隆明の姿を、僕たちは目に焼き付けておくべきだと思います。ひょっとして、僕たちと同時代を生きる吉本隆明の姿をテレビで見ることができる最後の機会になるかもしれません。

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新年を迎えて、多々雑感。

新年も明けると僕の店の駐車場は近くの伊奈波神社(三が日の人出は約60万人だそうです。)に近いこともあって、「岡田さん、車駐めさせてくださ~い」と、必ず誰かから電話がかかってきます。そんなささやかなことですら人の役に立っているようでうれしい気持ちになるのですが、自分はといえば母親の墓に手を合わせたこともないバチ当たり者ですから、お正月の気分を味わいに神社に出向いても神様に拝むということはありません。僕もみなさんと同じように手を合わせて、賽銭を投げて、今年は儲かりますようにとか、健康でありますようにとか、世界の人々が少しでも幸せでありますようにとか祈ってみたいのですが、いまだにそういう自然なというか素直な気持ちになることができず自分でも寂しいのであります。じゃあ拝めばいいじゃないということなんでしょうが、気持ちのどこかで頑張っていたいというか、抵抗したいというか、俺は現代を生きていたいんだというような、祈るというような未開の心性から解き放たれたいんだというような、そういう足掻きみたなものをどうしても捨てることができないのであります。

大晦日の日にNHKの「耳をすませば~あの人からのメッセージ2008~」という番組で去年亡くなった永平寺の宮崎奕保さんと立松和平さんとの対談を放映していました。永平寺の管長といえばそれは偉い人で、曹洞宗の総本山のトップなんですから現代最高峰の禅者の一人というわけです。とは言え、現代に真の禅僧などいないでしょう。世間から隔離された伽藍のなかにいては、秋葉原のネットカフェで正月を越した若者たちにその言葉すら届かないではないですか。今を生きている人間にとって、今、此処がすべてであって、その今此処は絶えず瞬間瞬間でしかない。秋葉原のネットカフェで正月を越した若者たちの今は現実のなかで日々失われていくわけです。以前のこのブログで桃水雲渓という和尚の名前にちょっと触れましたが、この和尚、世に「乞食桃水」と呼ばれる知る人ぞ知る江戸初期の名僧であります。

(ちょと長くなりますが)
桃水和尚は、筑後(福岡県)の柳川に生まれ、7歳で肥前(長崎県)で出家し、曹洞宗もう一つの総本山総持寺にも瑞世した高僧です。断食や露坐を常とし、山中に宿り、河上で座禅をし、寺にとどまることを好まず、日々托鉢に出て、蓄えもせず、食料が余れば乞食に施した。この桃水和尚の有名な話しは、ある日突然寺を出て行方がわからなくなる。桃水和尚は、蓑をまとい乞食の群れに隠れ、草鞋を編んでは糊口をしのいでいた。弟子たちが桃水和尚を捜し、ある日とうとう琛洲という弟子が乞食姿の桃水和尚を見つけ、ぜひ伴をさせてくれと無理矢理後をついて行く。すると傍らに一人の老乞食が死んでいた。桃水和尚はみずから穴を掘りその老乞食の死骸を埋める。それを見ていた琛洲は「ああかわいそうに」と思わずつぶやいた。それを聞いた桃水和尚は、「お前は、なぜこの乞食の死人ばかりをかわいそうに思うか。上は天子さま将軍さまより、下はこの乞食の死人にいたるまで、生まれる時には、糸一筋も、米一粒も持って生まれてくるものはおらぬ。ならば、死ぬ時でも、裸で飢え死にするのが帳尻があうというものじゃ。たとえ百万石の米を蓄えても、時節がくれば、割粥ひとさじが喉を通らぬ。たとえ蔵に満ちる衣装を蓄えても、死ぬ時は経帷子一枚じゃ。この道理に気がつかぬ者は、天子将軍大名富貴が死ねば格別に思うのじゃ。まことに愚かなことじゃ」(面山瑞方原著、乞食桃水逸話集)と琛洲を諭す。そして、その老乞食の枕元にあった食い残しの椀をとり、それをうまそうに半分食い残りを琛洲にこれを食えと渡した。琛洲は一口二口食うがどうしても喉が通らない。桃水和尚はその椀を取り上げすっかり食べてしまう。しばらくすると琛洲は、顔も青ざめすべて吐いてしまった。それを見た桃水和尚は、「お前には無理だ、もう帰れ」と言い、そのかわり仏国寺の高泉和尚を尋ねるように言ったという。

こんな和尚が江戸時代にはいたわけですが、乞食の残飯を食おうが食わまいが、真の禅僧というものは市井にあってこそ、その役割を果たせるのではないかと僕は思います。宮崎奕保さんの話しに戻りますが、その対談のなかで宮崎奕保さんはありきたりな禅の話しをします。(ありきたりがまた禅だ。)

人間は何時死んでもいいと思うのが悟りかと思っておった。
ところがそれは間違いやと気づいた。
平気で生きておることが悟りだ。平気で生きておることは難しい。死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいい。

自然は、立派だ。
何月何日に花が咲いた。何月何日に虫が鳴いた。ほとんど違わない。
真理を黙って実行するということが大自然だ。誰に褒められるということも思わんし、これだけのことをしたら、これだけの報酬がもらえるということもない。時が来たならば、ちゃんと花が咲き、そして黙って、褒められても褒められんでも、すべてのことをして黙って去っていく。そういうのが実行であり、教えであり、真理だ。

この番組にチャンネルを変える前は鳥越俊太郎のガン闘病を追ったルポルタージュ番組を見ました。大晦日にこういう番組を見なくともという気持ちもありましたが、それでも最初から最後まで見てしまいました。《死ぬときが来たら死んだらいいんやし、平気で生きておれるときは、平気で生きておったらいい》という、現代の禅者の言葉は、現代のガン患者にどうやって届くのでしょう。

現代は永平寺の山深い山中にはなく、また、現代の自然は立派だとばかりは言えない。花が咲くべき時に花が咲き、鳴くべき時に鳥がなかないのが現代だともいえる。

僕は神や仏に手を合わせはしなくとも、たぶん僕に眉をひそめる親戚連中よりは神や仏について真剣に考えていると思う。ここまで長々と綴ってきたのはそれを証明したいささやかな下心も無くはないが、われわれの現実はそんな個人的なものでもないし感傷的なものでもない。今、現代を悩ます最も大きな難問は、イスラームとキリスト教、イスラームとユダヤ教という「イスラームの問題」に他ならないのだから、日本人としてどう考えてどう発言していくかということを、掛け軸を売りながら、そばを打ちながら、子育てしながら、学校へ行きながら、丁稚をしながら、僕たち一人一人が考えないといけない。それが一つの現代の姿であるべきだと僕は思う。

本当は現代の生と死の問題。

それは鳥越俊太郎さんの番組を見ていると強く感じますが、現代人の死への向き合い方として医療の問題だけでなくこころの問題が非常に難しくなっていると感じます。小林秀雄は老人がいなくなったと言いましたがそれも随分昔の話しで、今は老人であることすら許されない社会になったのではないかと思います。人生が老人の域に入り静かに過ごす人生の晩年のようなものがあって死を迎える。自然に老いて息子や娘や孫に囲まれて死んでいく。もはや現代はそうではないわけで、じゃあ、われわれはどうやって死んでいくか、死んでいく親や友人とどう接していくのかということを考えていかなくてはいけない。これは一見イスラームの問題ではなく個人的な問題のようですが、実はそうではなく同じ問題として考えないといけない。それも現代のわれわれの姿であると思う。

こうやって今日は新年を迎えたので、いろいろ思い当たることを書いてみましたが、今年はここまで書いてきたことと同じでいろんなことをやっていかないといけないと思っています。第一に今年は本を読まなくてはいけない。緊急に読まなくてはいけないものが山積しています。それが最大の課題。そして仕事も目一杯やらないといけない。そうしないと食っていけなくなる。

命ある限り、健康であるうちは健康に感謝して、少しでも一歩一歩でも気恥ずかしい言い方ですが、世界のすべての人が少しでも幸せに生きられるように願ってすべてのことを考えてやって行かなくてはいけない。それが現代を生きる個人個人の姿であるべきだとまた思う。

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