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2008年12月

バースデイ・ナイト

きっと君は来ない
ひときりのクリスマス・イブ
Silent night~ Holy night~

今夜の気分はちょっとこの歌のメロディーのよう。
妻も娘も今日はオヤジの誕生日だということをすっかり忘れているようだ。

人はすべて忘れ去られる。僕が47歳になろうがなるまいが、僕の生きた年月も僕の記憶も....   そういえば、『スティル・ライフ』というお洒落な小説があった。いつものごとく僕の記憶装置はストーリーを思い出してくれないけど、深とした音のない世界、感情の失った世界、そんな空間に身を置いているような気分にさせてくれるちょっと雰囲気の変わった小説。

しかし、僕の生きてきた47年間というのは決して無ではなく、47年間歩いてきてこれからも死ぬまで歩いていかなければならない現実と、現実の厳しい世界があるのだ。そう言う意味では、中上健次の『岬』とくらべれば、『スティル・ライフ』なんて作品はあってもなくても消えて無くなってもいい。(それがこの作品の値打ちとも言えるか)

要は、僕のバースデイ・ナイトは、『スティル・ライフ』ではなく『岬』であっていい。48年目の現実を生きていく決意さえできれば、女房、子供に忘れられていようが、今日からまたあらたな気持ちで生きていける。

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「結婚式祝賀会実行委員会」

今朝の中日新聞に、ノーベル賞の益川敏英さんの結婚式の話しが載っています。(名古屋ノーベル賞物語19)「山椒は小粒でもぴりりと辛い益川君 しっかり屋で時には甘えん坊の高橋さん」「彼は素粒子を知りたい 民主的な社会を築きたいと 彼女は平和で豊かなくらしが出来る世の中をと、共にがんばっています」。これが、昭和42年(1967)に結婚された益川敏英さん、高橋明子さんの結婚式祝賀会の招待状に書かれた言葉だそうです。二人の結婚式は、仲間たちによって「結婚式祝賀会実行委員会」が組織されて、「家庭の民主化とは」「家同士の結び付きでなく本人同士の意思が大事」「平和だからこそ結婚も、研究もできるんだよね」と結婚式祝賀会実行委員会ではそんなことが論じられ、結婚式は神や仏の前ではなく、二人の恩師の坂田昌一さんが「式司者」となり「友前」式で行われたそうです。当時、私は6歳。私の父は全共闘以前の全学連世代にあたり、家の壁にはマルクスとチェ・ゲバラの写真が掲げてあるような家庭でしたので、ベトナム戦争が次第に泥沼化し学園紛争が活発になっていく当時の時代の雰囲気のようなもは、幼い記憶のなかにも、多少は感じることができます。益川敏英さんも、そういう時代の真っ只中に二十代を生きて、デモに参加したり、米原子力潜水艦寄港反対運動の会場に講師役で派遣されたりしたそうで、この結婚式祝賀会の招待状も、「結婚式祝賀会実行委員会」という名称も、いかにもこの時代の人たちだなと感じます。今、それから40年以上の月日が流れ、時代の様相も一変し、今の二十代の人たち、それは私の世代も含めてですが、その当時の益川さんのような人たち、その時代とその人たちの心持ちのようなものをどんなふうに感じるのでしょうか。たぶん、特に今の二十代の人たちは、何も感じないでしょう。何も感じないことにとやかく言おうとは思いませんが、どんな時代であろうと、社会や国家にはその構造というものがあって、その構造のからくりのようなものを見抜く力がなければ、特にこれからの世の中は、個人が個人の力で生きていくことが非常にしんどくなる。今日の益川さんの結婚式の話しを読んで、そんなふうなことを思いました。

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 『食いものや賛歌』番外編・新橋の夜 『プレ・ド・ラガール クリヨン』

Gare_3 いつものように東京の夜、今晩はなぜか物憂い。というか、ここ何日か失恋した後のように気分はどうも低調なのであります。最近初めて老眼鏡を買ったことも腰痛でスキーに行けないことも商売の不安も、原因はいくつか重なっているように思うのですが・・。

今日は生憎日曜日で『和作』は休み。鮨でも買ってこのままホテルに行ってしまおうかと思いながらも新橋駅地下通路をうろうろして、ふと、普段は素通りしていたレストランの《ワイン》の文字が目に入ってきました。ふいに気持ちがフィットした感じでこの店で食事をすることにします。店の名前は『プレ・ド・ラガール クリヨン』。人が忙しく行き交う地下通路沿いのあらたまって食事をするような外観ではありませんが入ってみると意外に感じがいい。カジュアルなんですが、それがちょっと静かに本を読みながら(和作だとそうはいかない)一人で食事をしてお酒を飲むのにちょうどいい感じ。カウンターに案内されると端に一人トレンチコートを着たまま英字新聞を片手にワインを飲んでいるオヤジがいる(さすがに東京、田舎にはこういうオヤジはいない)。僕はそのオヤジの反対の端に腰掛け、4種類用意された赤のグラスワインのうち奮発して(と言っても900yen)一番高い〈マルベック・オークカスク〉というアルゼンチンのワインと、ホワイトアスパラガスとエスカルゴのプロバンサル(900yen)、リヨン風ポテトのバターソテー(500yen)を注文する。「リヨン風ポテトというのはこれ?」とメニューの写真を指さすと、「そうですよ」と笑顔で答える店の女の子も感じがいい。僕は持ってきた椎名麟三の『重き流れの中に』を開く。19歳の時に読んで以来の懐かしい小説に思わずあのころの自分を感じて、物憂い気分の上にさらに感傷的な気分を重ねても、美味しい料理とワインに少しずつ暖まる体を感じながら今宵はゆったりと夕げの時が過ぎていくのでありました。ちなみに二杯目のワインは少しけちって〈ヴィション・メディタレニアン・ベルネソーヴィニヨン〉600yen。料理は他に注文しませんでしたが、エスカルゴの皿に残ったソースにバケット(250yen)を浸して食べるとこれがまた美味しかった。

今日を書いたこのレストラン、家内労働的な個人経営の店を紹介するという『食いものや賛歌』のいわば番外編ということで。

プレ・ド・ラガール クリヨン
港区新橋2 東口地下街1号(JR新橋駅直結)  tel 03-6218-0118
営業時間 11:00~23:00(LO22:00)

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《故郷》

《私は》このブログも、もう一つの『美術館マンスリー』というブログも、この《私は》という視点で書いているわけですが、時にはというか、しばしばですが、《僕は》と書き始めたくなります。しかし、やっぱり《私》かと気を取り直すのですが、そこには、《公》に対しての《私》という意識が絶えず前提にあって、一応は、その前提の上で、曲がりなりにも《公》に対して自己表現しているつもりでいます。

私の仕事上のイベント、『郷土の先人遺墨展』(次回は平成21年1月10~15日に開催)の目録に、毎回ではないのですが、「ふるさとに思う」というテーマで、文化に携わる仕事をしている郷土人に寄稿してもらうのですが、どの方も、《故郷とは何か》という問いは、簡単なことではないようで、私のほうでも、それはわかっていて、「何でも好きなことを書いてください」と一言付け足してお願いします。私はこのブログを始めたころ、仕事に関することはあまり書きたくないと書いて、そうは言いながら仕事関連の話題をちょくちょく書いていますが、どうしても、単純に生業(なりわい)としての仕事というだけで、生活の大部分の時間を費やすのが嫌で、ブログのなかで仕事関連の話題に触れても、私なりに、《公》に対する《私》という視点を絶えず含ませているつもりでいます。そういう意味で、「ふるさとに思う」というテーマで寄稿してもらうことも、そういう意識が働いているからで、そんなふうに考えると、私は絶えずそうやって自分の仕事をしていることにあらためて気付き、もし、それでこのまま食っていけるのなら、一生アパート住まいであろうが、女房子供から落胆の視線を受けようとも、個人的には幸せかなと思わないでもありません。

《僕は》、と書き始めたくなるのは、そういう意味での、《私》と《公》として、自分の言葉を書くのではなく、《僕》として自分の言葉を書きたくなるということで、それは、《僕》と書き始めた途端、もう一人の《僕》が立ちあらわれてきて、意識は《公》とはまた逆の方向に向かっていくことになり、それでは、〈世の中への恨み辛みなど綴る》というこのブログのスタイルにはそぐわないので、結局、気を取り直して《私は》と書き始めるわけです。

さて、《故郷》とは、それは先に触れたように、簡単に言い表せるようなものではないし、《僕は》、それを探すために、生きているような気がしないでもありません。〈意識は《公》とはまた逆の方向に向かっていく〉と書きましたが、逆の方向というのは、今、ギャラリーウートレで開催中の『胎動 増川寿一』展の『胎動』、つまり、母親の胎内へと向かうことではないかとも思います。

一つだけ、《故郷》について気付いたことがあります。旅人が山里の自然と人情に触れて、そこに居ついたとしても、そこは《故郷》にはなり得ない。そこは旅人にとって、母性へと回帰できる場所ではないからです。そして、父性として、母親の胎内へと向かうことが禁制であるならば、旅人が《故郷》に帰ることも、それは許されないことであると。

旅に生きたという芭蕉は、旅に死すことを求めたといいます。芭蕉にとっての旅は、決して帰ることのできない故郷を探し求める彷徨であったのかもしれない。あるいは、故郷を捨てるために旅のなかに生きようとしたのかもしれない。それが母なるものへの回帰であるか、母なるものを捨て去るためだったのかはわかりませんが。

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『食いものや賛歌』5 新橋『和作』

Wasaku_3 誰でも出張先の夜は寂しいものではないですか。
仕事ですから、遊びに来ているわけではないし、かんたんに、ラーメンか立ち食いそばでも食べてすましてしまうこともありますが、何となく人恋しく、気持ちが落ち着かない時、よく立ち寄るのが新橋の『和作』という呑み屋さんです。新橋駅の汐留側のすぐ前に新橋駅前ビル1号館という古い雑居ビルの地下1階には、5人も入れば一杯になるような立ち呑み屋さんから、もつ鍋屋、餃子屋、バーなど、屋台が屋内に入り込んだような酒場街がありますが、『和作』はその1階、老朽化したこのオフィスビルと一緒に時をきざんできたように《酒 肴 麦とろ 和作》という看板を出しています。3年ほど前、東京の常宿を、上野から未来都市のような汐留に移し、特に理由もなく、この店ののれんを初めてくぐったのは、2年くらい前でしょうか。その時は、お客は誰もいない、6畳間を縦に伸ばした程度の狭い店の一番奥のテーブル席に、《ここでいいですか》と腰を下ろし、たぶんビールと刺身を何かいただいた後、看板に「麦とろ」とあったので、それをお願いすると、《それは、お昼の・・》と言いながらも、すり鉢でとろろを作ってくれて、ご飯と味噌汁と一緒に出してくれました。(最近になって、その時の話しを和作のご主人にすると、《店で一番良い席に座った》と言っていましたが)それから、東京に来る度に、ちょこちょこ通うようになり、私の息子が東京で修行中の時は、何回か二人で来たものですが、一人韓国人の25歳くらいのかわいい女の子が働いていて、息子がその女性のことを《観音様》のようだと密かに想いを寄せていたようです。この女性はもう韓国に帰ってしまい、今は、同じ年頃の中国人の(観音様というよりは地蔵様という感じの)かわいい女の子が働いています。私は、東京の居酒屋で呑むと田舎(岐阜)との違いを感じるのですが、東京の人の方が、フレンドリーで、酒を楽しく呑みますね。それに、横で話しを聞いていると、話の内容が気が利いている。だから、田舎がどうだとは言いませんが。こうして、この店に通うようになり、この店のご主人が、秋田のご出身で、もとはプロの演歌歌手であること、テニスの達人であること、落語家であることなど知るようになりましたが、そのお店を気にいるかどうかは、当たり前のことですが、料理や酒の味ももちろん大切ですが、くつろげるかどうかですね。そういう意味では、まさに《場末》の呑み屋のような『和作』は、私には居心地のいい空間のようです。

『和作』の名物料理《きりたんぽ鍋》(季節によっては、じゅんさい鍋も)
秋田能代出身のご主人が、誠心誠意作る絶品の《きりたんぽ鍋》、当日の2時までに予約、一人前1.500円。昼の定食、麦とろ定食780円。

『和作』
東京都港区新橋2-20-15 新橋駅前ビル1号館1F TEL 03-3575-1756

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裁判員制度

来年から裁判員制度というのが始まりますね。
私は法律の専門家ではないけれど、こういう制度を法律として定めることに多いに問題はあーりはしませんか。これは、私の体験的法律解釈ですが、まず大前提から申し上げれば、基本的に法律よりも、自分の信じる意思の方が上段にあって、その信じる意思が真に普遍的真実を反映しているのなら、法律はその意思の下にあって然るべきものです。要するに、法律というものは、絶対的に個人を支配するものではないということです。ですから、イラクでの自衛隊活動を違憲とする判決が下されても、靖国神社参拝を、憲法で禁止されている宗教活動に当たるという違憲判決を受けても、〈そんなん関係ねえ〉とばかり政治家は無視している。立派な政治家先生が法律を無視する手本をみせてくれているわけです。三権分立という、インチキな建前がありますが、三権分立というのなら、四権分立にして、そこに個人と加えるべきですね。私は、以前このブログで、『小沢一郎と日本の国際貢献』と題して、《日本は国際社会の一員として、国際平和への責任を負わなければならない。そして、それについては国連が中心になって議論をし、国連の同意による、国連の活動としての自衛隊の海外派遣を法制化しなければならない。これは、いかにも正しく、立派な人間の振るまいのように思えます。小沢一郎先生が吉田松陰先生になって、正しい道には困難もある、嫌でも引き受けなければならぬこともある、そのためには命を投げ出す覚悟も必要なのだといっているわけです。しかし、しかしです、しかしそれは正しくとも、日本にとって間違った選択だとわたしは今後論考を進めたいのであります。》と書きました。この先で私が言おうとしたことは、当然、その向こうに『徴兵制』という問題が開けてくるわけです。こういう問題、どういう問題かといえば、個人の意思や自由というものに対置する『徴兵制』、あるいは『裁判員制度』、つまり現実の形として露呈してくる『個人』と『国家』という問題です。私は冒頭、法律というものは、絶対的に個人を支配するものではないと申し上げましたが、それはあたりまえの個人「律」、心構えのようなものです。そうでなければ、法を破って革命など起こせないでしょう。例えば、大日本帝国憲法というものがありますが、その第1章第1条に、《大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス》と書かれているわけです。こんなものは、こんな私でなくとも、今は誰も認められないでしょう。少々話しを纏めますが、『憲法』というものがありますが、ここには、その法体系の総論、基本的理念を表明し、法律はその理念の下に構成されるわけです。私は、市民社会(国家ではなく国)というもは、個人個人が成長し、本当の意味(公正な)での市民法を築かないといけないと思うわけです。話しが纏まるばかりか拡散していきますが、日本の封建社会、あるいは封建制というものは、結局、敗戦まで引きずられて、日本人と、世界の多くの人々の惨憺たる犠牲の上に、崩壊したわけです。取り敢えず崩壊した。そして、それが占領国憲法であろうがなかろうが、『日本国憲法』というものができたわけです。私は、前文を含め、ほぼ素晴らしい憲法だと思いますよ。ただ問題は、第1章の「天皇」と、第2章「戦争の放棄」で、「天皇」については、単純な言い方で申し訳ないけれど、天皇がお気の毒ですよ。今の皇太子は私と同じ世代で、以前は、同世代では私の最も尊敬する人物の一人でした。それは、人間が正直で純で、それが人格から醸し出ていて、奥さんを、私が命懸けで、とは言わなかったけど、私が守ると宣言したでしょう。私の不満は、その奥さんを幸せにはしていないところですが・・、要するに、本来は天皇家は天皇家。昭和天皇の子が天皇を《世襲》するなどという、不公正であり、市民社会の原理に最も反目する概念を憲法で規定することはないのです。ですから、せめて、天皇は国事行為などせず、日本の文化としてこれを保持する程度にして、天皇家が伝承してきた習俗を保存していってもらえればいい(あくまでも、それすら天皇家の自由意志にまかせるべきですが)。「戦争の放棄」については、戦争なんて、こっちの任意で始まるわけではないので、向こうから喧嘩してきたら、どういう方法にしても身を守らないかんわけで、こんな条文は、それこそ基本的市民権に反しますよ。そういうことで、この二つを除けば、前文を含めほぼ素晴らしい憲法だと私は思います。ですから、私は何も単純に法律は守らなくていいと言っているのではないわけです。私は、基本的に日本国憲法を支持しているのですから、革命を起こそうなんて微塵もたくらんでいないわけです。それどころか日本国憲法を遵守する精神です。そこで、長々、だらだら書き綴っておりますが、要するに、私は、死刑制度を是認している日本の司法の要請には従いたくないのです。さらに本心を言えば、死刑制度があろうがなかろうが、権力の側には立ちたくはないのです。こんなふうに言うと、『裁判員制度』は、司法に市民の感覚を反映させて、より公正に行うためだと反論されるでしょう。しかし、そうであるなら(ここのところが一番言いたいポイントなんです。)、この『裁判員制度』には、出頭を拒否すると罰則規定がありますが、そんなものは不要なんです。絶対に任意でなくては駄目なんです。これが、権力の横暴、思い上がりなんです。こういう性質、それは『徴兵制』も同じですが、法律は、こういう問題に関して、市民に対し強制力を有してはいかんのです。こういう問題、というのは、当然、日本国憲法に規定してある、『第19条、思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。』という、本質的な個人の自由意思に懸かる問題ということです。その自由意思は、別に思想的であろうがなかろうが、行きたくなければ、理由などどーうでもいいのです。つまり、少なくとも、この『裁判員制度』の罰則規定は憲法違反であると私は考えます。もっとも、最高裁は、憲法違反という後ろめたさがあるから、召喚を受けた裁判員候補者、裁判員又は補充裁判員が正当な理由なく出頭しないときは、過料に処せられと、何が正当なのかさっぱりわからない言い訳を付けているわけです。要は、売れっ子キャバクラ嬢であろうが、私のように売れない美術商であろうが、行きたくなければ、堂々と拒否していいぞーと私は主張したいわけです。ついでに言うと、WBCの原ジャパンに参加したくなければ、それがケガが理由であろうが、愛国心など微塵もないことが理由であろうが、そんなことはどちらでもいいわけです。そういうことが、自然な市民意識のなかで了解されていく、そういう社会が成熟した市民社会というものだと私は思います。それにしても、世も末、末法の如く、この悪法、『裁判員制度』を日弁連が後押ししているんですからね。

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