« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

目利きの話し(椀伏せ)

昨日は、東京の美術倶楽部で行われる交換会に行っておりました。
交換会というのは、商人による競売買の場のことで、多くの交換会は、競り方式で行われます。昨日の交換会は、以前はこの「競り方式」でなく「入札方式」で行われておりました。入札方式というのは、書画骨董界では「椀伏せ」と呼ばれ、紙を貼ってあるアルミの椀(学校給食で使われていたような椀)に入札金額を書き、円盤を飛ばすがごとく札元に向かってひらひらと投げ込みます。競り方式の場合は、先ず、会主(交換会の主催者)が発句をし、そこから参加者の声によって値を上げていきます。椀伏せとは違い、全体の雰囲気とか、声を出している人がどういう人かを覗いながら声を出すことができるので、物に対して少々自信がなくても、競り落としたり、競り合ったりすることができます。しかし、椀伏せの場合は、自分だけの判断で値踏みをするので、物がわからなければ入札することが難しい。要は目利きの眼が試されることになります。椀伏せの交換会というのは、わたしのような駆け出しには難しく厳しい取引の場ではありますが、しっかりと品物を見ることができ、品物を見ながら諸先輩の話しを伺うこともできるので、勉強には大いになるわけです。いうなれば、昔ながらの風情ある伝統スタイルがこの「椀伏せ」の交換会ということです。しかしながら、進行に時間がかかり、多くの商人が参加しずらい椀伏せの交換会は、時勢に合わずだんだんと姿を消しています。昨日の交換会も、そんな事情から、以前は関東を代表する椀伏せの交換会の一つでしたが、現在はすべて「競り方式」に変わってしまいまいました。わたしにとっては、どちらにしても厳しい仕入れの場にはかわりありませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目利きの話し(続き)

「目利き」というのは、要するに真贋を見抜く眼と、その物の価値を見抜く眼、あるいは価値を計る眼があるかどうかです。「あの人は筋が悪い」などと揶揄される人というのは、その逆で、真贋を見抜く眼はもちろん、買う物の筋が悪いということです。買う物の筋というのは、値段の高い低いということでなく、たとえば同じ川合玉堂の真筆でも魅力のある物もあれば、魅力に乏しい物もある。別の言い方をすれば形の良い物もあれば、そうでない物もある。わたしなど目利きでないものは、せめて筋が良いと同業諸氏からいわれるようになりたいものです。ところで、一つだけわたしの尊敬する、誰もが目利きだと認めるあるお方からお伺いした〈物の見方〉をご紹介しましょう。私のような書画屋の場合、扱う物の多くは掛け軸ですが、先ずその姿を見る。姿を見るというのは、先ず表具から見るということです。「表具いき」とか、「調子」とかいいますが、そういうところから全体を見渡していく。良い物というのは、だいたい良い表具がしてあるということです。しかし、問題はそこからです。目利きであるかどうかはその先です。わたしでも、そこまではわかるわけです。真贋が良さそうだなというところまでは誰でもわかるのです。川合玉堂などは真贋の難しい物は少ないからよいですが、たとえば同じ玉堂でも浦上玉堂などは、良さそうだから良いとは限らない。近世絵画史に登場する画家の多くは、贋作の方が多く真筆は少ないのです。それを自らの見識に頼って、「1000万angrypunch」とヤリを突く。面白いもので、自らの見識に頼れない人は、お金がいくらあっても、10万のヤリも突けないものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目利きの話し

前回の話しの続きです。世間でよく目利きといわれる人に、白洲正子、青山二郎、小林秀雄、川端康成といった面々が思い浮かびます。たしかに審美眼という意味では、こういう方々や、民藝の発見者といわれる柳宗悦などは優れていたのではないかと思います。しかし、審美眼というのは、直感的、感覚的、主観的な要素が強く働きますから、いわゆる相目利きに陥りがちで、わたしのような一応は商人の立場からすれば、やはり真の目利きは、商人のなかにこそいてほしいし、当然、先に名前を挙げたような素人の人たちとは違う商人の眼というものがあってしかるべきだと思います。ここで、目利き論を展開しようとは思いませんが、実際の商売の世界で、目利きの眼というのは、仕入れの場で発揮されるもので、市場で買うもの、あるいは買い方を見て、周りの者が「あの人は目利き」だとか、「あの人は筋が悪い」などというわけです。次回はその辺の話をしてみましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

目利きの話しと鑑定士

18日から東京に行き、21日晩に岐阜に戻り、翌日は京都で、今日は桑名と、すべては因果な交換会(業者のオークション)の日々。わたしは書画屋稼業なので、ほとんど掛け軸、掛け軸、掛け軸と、月に何本(幅)の掛け軸を見るでしょうか。5000本から10000本位は見るでしょうね、凄いでしょう。日本にはどうしてこんなに掛け軸があるのかとうんざりしますよ。というより、うんざりするような掛け軸が大半だからでしょうか。そうは言っても、日々が商いの日々であると同時に修業の日々でもあるわけです。(My sonは脱落しちゃいましたけど) 私たち(駆け出し)にとって、修業というのは、ものをたくさん知る、覚えるということと、やはり目利きになることでしょうね。もの知りでも、どうしてか目利きとは言われない人もいますが、しかし、目利きは同時にもの知りでもあるでしょう。もの知りなんて言うと雑学博士みたいですが、本当の目利きは、ちゃんとした勉強をされています。要するに、根拠がなければものはわからないわけで、根拠がその経験であり勉強なわけです。ところで、最近やたら、鑑定士○×とか買い取り専門×○とか、鑑定買い取りの宣伝が目に付きませんか。何を隠そう「長良川画廊」も買い取り鑑定なんて言って、それなりに力をいれていますが、まず、そういうところに目利きはいません。わたしは書画のことしかわかりませんが、何でも鑑定団という番組に業界のガリバー思文閣の社長が出ていますね。この人は、間違いなく目利きだと思います。業界にはそうは言わない(そうは言いたくない)人もいるでしょうが、プロとしていろんな意味で目利きで実力者で尊敬に値します。だから本当はいかがわしい鑑定士などと名乗って欲しくはない。みなさん、間違わないでください。間違ってもわたしのことを先生なんて呼ばないように。鑑定士なんて資格はありませんから。たいがいは、鑑定士などと名乗っている人に目利きはいないと思って間違いないですから。

この話題はまた明日続きを・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

靖国神社「遊就館」

本日、実に久しぶりに『美術館マンスリー』を更新しました。テーマは、《靖国神社「遊就館」》です。このブログ『知と愛』のなかで、以前に書いた《小沢一郎と日本の国際貢献①~④》、これは、国連の活動としての自衛隊の海外派遣について、わたしの考えを書いていますが、④まで書き進めてそこでストップしています。わたしとしては、《靖国神社「遊就館」》と重ねながら、今後この論考も進めて行きたいと思っております。

欠点の多い拙文ですが、両方併せて読んでいただきましたら幸いです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

『日野市立新選組のふるさと歴史館』

最近武蔵野市在住の歴史学者の西脇康さんと交流する機会が増え、今日もこちらの都合さえ付けばお目に掛かれるところでした。この方、総称すれば歴史学者で間違いはないのでしょうが、史料学者であり、貨幣学の権威であり、博物館の企画もされ、昔でいえば、「浪人」、テレビドラマ風にいえは、「必殺仕事人」といった風情で、実際には、わたしもその正体を掌握できていないというのが本当のところですが、現在、『日野市立新選組のふるさと歴史館』の企画に携わっておられます。わたしも、まだこの『日野市立新選組のふるさと歴史館』に行ったことがないのですが、いただいた展覧会図録から察するに、また、西脇康さんの人物像から察するに、ここは〈ただ者ではないぞ〉という予感を受けております。この歴史資料館、名前の通り「新撰組」がコンセプトかと思いますが、開館記念展が、「新選組誕生」で、次が「新選組 京都の日々」、その次が、「新選組 戊辰戦争のなかで」、そして昨日から始まった企画は『銃砲から見た近代の夜明け』で、次回は来年、新選組のその後から自由民権運動までを取り上げた展覧会をするそうです。きっとこの繋がったテーマの裏には、明治維新から近代にいたる日本の歴史の真相に迫ろうとする並々ならぬ野心が隠されているに違いありません。わたしの『美術館マンスリー』の次回テーマは『靖国神社遊就館』ということなので、いわゆる人間の情念の露出というべき〈心性史〉の側面を持つ『靖国神社遊就館』と、それとは対照的に〈古文書学〉の手法に立っているだろう『日野市立新選組のふるさと歴史館』との比較対照は大変興味深いところです。

皆さん、もうすぐ、64回目の日本の最も長い一日ともいわれる8月15日がやってきます。ぜひ、『日野市立新選組のふるさと歴史館』と『靖国神社遊就館』の両方に行かれて、日本の近代というものが何であったのか、(わたしは今でも近代は繋がっていると思いますが)考えてみてもいいのではないでしょうか。それもまた、供養の一つです。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

My sonよ

今朝は汐留のホテルで朝を迎えております。
毎月の出張パターンでは19日の朝岐阜を出てくるのですが、息子の件があったので、一日早く来て、昨日は息子の修業先にお詫びのご挨拶に行ってきました。私の先輩でもある修業先の社長は根がさばさばした方で、「そんなあらたまって」と話題はわれわれ美術業界の話になりました。美術業界と言っても一括りに語ることはできませんが、業界の特殊性、体質、世間の評価の低さなど、社長の問題意識は業界の後進性にあるようで、企業として成り立っていく商売の在り方をわれわれは考えていかなければならないということをさかんに話されました。それはそれで、利益をあげて、今の厳しい状況を商売人として生き抜いて行くにはまっとうな見識に違いありません。わたしは社長の話を伺いながら、ふと取り残されているような寂しい気分になりました。私自身の商売の見通しを考えるとその心細さが気持ちをおおってくるということもありますが、日本の社会のほとんどの人が、そういう競争のなかで生きているのだと思うと、そういう現実のなかに適応せずに、「売れない掛け軸を扱っていてもしょうがないでしょう」という社長の話しそのままに、売れない掛け軸にこだわって、さらにそのなかでも売れない文人画などにこだわっている今の自分があるわけです。息子には〈修業とは真っ暗な階段を登るようなものだ〉と言いましたが、私だって先は五里霧中です。しかし、時勢に合わない仕事であっても、世間がどうであろうと、我が道生きていきたい。

親父に似て不出来なMy sonよ、世間は厳しいけれど、あなたも我が道好きなように生きていったらいいじゃないですか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

野茂英雄投手

「僕の場合は悔いが残る」と言って、野茂英雄投手が現役を引退した。
私は、世の中に野茂英雄のような存在がいるということの、意味というか価値はもの凄く大きいと感じます。ある意味で人間の在り方の指針になるような存在感を野茂英雄は持っていた。そういう意味で野茂英雄投手の現役引退はもの凄く寂しいし惜しい。野茂英雄という人は多くを語らない。語らなくても全身が自分の存在を強烈に主張している。彼にとって大切なことは、真の職人が、ひたすら寡黙にその技術を修練させる存在であることと同様に、純粋に技術の高さを競う野球の世界で自分自身の存在を確認することに他ならなかた。彼に、社会がその保身や偽善や金儲けのために作ったインチキなルールは通用しない。野茂英雄は真に野球をする存在として、自分をむき出しにして最初から最後まで野球のなかに生きた。(もちろん戦いながら) しかし、スポーツの世界は哀しい。体力の衰えはいかんともしがたい。野茂英雄はついに引退した。

これほどすがすがしいプレイヤーを私は他にしらない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『豚は死ね、狼は生きろ』

最近景気が悪いそうですね。
今も東京のお客さんから電話が掛かってきてそんな話です。【燃料高20万隻一斉休業】と今日の夕刊の見出しにあります。私も商売が美術商ですから商売のいろんなところでひしひし感じつつあります。たしかに金が無くなってくると心も窮してきます。私は子供の頃、親の喧嘩といえば金の問題でした。どうして自分はもう少しお金のある家に生まれなかったのだろうと思いました。私が18歳で結婚したときある人に言われました、『晋君(私の名前です)、豚は死ね、狼は生きろだよ』と。私はこのとき、ある荒んだ横顔をこの人から感じました。この人は父の友人で、『君のお父さんように僕は大学に行けなかったけど』とも言いました。温厚な人柄で18歳の私に10万円のお金を貸してくれた人です。私は3、4年後だったか、このお金を返しに行きました。この人はその晩釜飯をご馳走してくれました。私は今この人の言った、『豚は死ね、狼は生きろ』をこころに刻んでいるつもりです。要は、景気が悪かろうが良かろうがそんなこと関係ねえ、人は助けてはくれない、のたれ死にしたくなければ頑張るしかない。それだけです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今日の所感

今日は土曜日、スタッフは誰もいません。
一階のギャラリーは閉めておこうかと思ったのですが、ひょとして、「この絵ください」なんてお客さんが来るかもしれませんので一応開けておきました。
これから、ぼちぼち、調べ物をしたり、HP用の文書を作ったりして一日が過ぎていく予定です。一件荷造りして送らないといけませんが、まあ、今日はのんびりしています。
普段は出張も多く、忙しい日もあり、休みらしい休みは月に一日か二日しかありませんが、今日のような一日は仕事をしながらも、こころの休憩になります。                                      私は、根がどっしりしない性格なので、忙しいと気持ちもバタバタとしてしまいますが、どんなときでも気持ちだけはゆったりして日々暮らしていたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『山本モナ、ラブホテルに入る』

『タレントの山本モナ(32)が、プロ野球巨人の二岡智宏内野手(32)とツーショットでラブホテルに入っていたことが9日発覚した。』そうです。《ラブホテルに入る・・》男としては何とも魅惑的な響きです。日本的情感で表現すれば《秘め事》。日本文化は古来より恋愛や愛欲にはおおらかでした。おおらかというのは自由であったということではありません。女性が妻子ある男に恋し交わること、それはタブーであるがゆえにいとものはかなしことでありました。 日本の遙か古(いにしえ)の美しき女性たちは、いとものはかなし想いを夜露を拭うように言葉に紡ぎ、情念の世界を可憐に舞うのです。山本モナさん、あなたは何一つ他人に批判される理由はありません。よって世間に謝る必要もありません。ただ残念なことは、あなたの、《いとものはかなし》こころの想いが一枚のFAX用紙に紡がれた言葉からは察することすらできなかったことです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『いたずら編』の続きだぎゃー

『いたずら編』の続きだぎゃー。岐阜市立女子短大の学生がイタリアの世界遺産サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の大理石の壁に落書きしたという一件は、いたずらをした女子大生が自費で再訪し謝罪する一方で、親善大使に任命されるという、女子大生にとっては、ありがた迷惑な展開でしょうが、後は、女子大生がひたすら小さくなっていてさえいれば、めでたく一件落着と相成るでしょう。この、馬鹿馬鹿しい〈いたずら問題〉のそもそもの発端(馬鹿のはじまり)は、こころの美しい観音様のような人が発見する前にわざわざ大学へ通報する暇な(明るい)人間に発見されてしまったことと、(観音様のような人なら通報などせず、消してくださっていたでしょうから) 岐阜市立女子短大の学長がユーモアのない〈おりこう〉な学長であったことでしょう。(いっそのこと、大学を表彰してくれたらいいのに) しかし、『知と愛』ふうに、この問題を解釈すれば、この学長のように、大学を代表していると思いこんでる連中のこころの中に、所謂、「面子」「体裁」「保身」の日本が古来より育んできた儒教精神が息づいていると考えれば、それはそれで、日本文化を内外にアピールできたということで、一定の評価もできるだぎやー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

われわれの敵は税務署ばかりに御座なく候。

これは私自身の実感なのですが、所謂厄年、42歳前後になると、急に体が劣ってきたというように感じませんか。私は、母親(祖父も祖母も叔父も)が38歳で胃ガンで死んでいるので、35歳頃から、ほぼ毎年胃の検査をしています。自分の健康上の最大の要所は消化器系にあるとふんでいたのです。しかし、40歳頃に〈中心性漿液性脈絡網膜症〉という眼の病気になり、それは右目の見にくさとなって後遺症が残りました。さらに44歳頃に脳梗塞の前兆でもある〈一過性脳虚血発作(TIA)〉になり、つい最近は、首筋に痼りができ、悪性リンパ腫を疑って精密検査を受けました。これは、良性の腫瘍のようでしたが、こんな具合で、いつのまにやら浅学の医学知識がひろがり、友人達からは赤ひげ先生のごとく揶揄される次第です。そんなことで、こと健康問題についての話題は事欠きませんが、それはともかく、私と同じ自営業者のみなさま、われわれの敵は税務署ばかりでは御座なく候。最も警戒すべきは我が健康と肝に銘じて、自発的健康管理に怠りなく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »