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小沢一郎と日本の国際貢献②

わたしは、実際に戦争を経験したことはありませんが、戦争になれば、普通のほとんどの国民は、「戦争なんて嫌やなあ」と思うでしょう。しかし、戦前の日本であれば、「戦争なんて嫌やなあ」と思っていても、戦争に反対する自由も、徴兵を拒否する自由もないのですから、男も女も、子供も若者も年寄りも、それぞれの立場で気持ちに折り合いをつけて我慢するしかない。ここが戦争のおかしなところです。「戦争なんて嫌やなあ」とほとんどすべての人が思っている。それなのに戦争は起る。20世紀、世界は戦争の時代でした。日本も明治以降、一心不乱に近代化を推し進め、戦争に次ぐ戦争、やがてアジアの盟主となるべくアメリカに戦いを挑んで、すべては多大な犠牲の上に灰燼に帰して、もうとことん「戦争なんて嫌や」「戦争はしてはあかん」と日本人は骨身にしみて思った。もちろんそれは日本人だけではない、戦渦に巻き込まれたアジアの人々やヨーロッパの人々も同じようにそう思った。ここが世界にとっても、日本にとっても大きな節目のはずです。ここから、絶対に戦争はしてはいかんと、どうであれ、こうであれ徹底的に肝に銘じて、それから、ものを感じ、ものを考えないといかんのです。先ず、ここを日本の、日本人の立ち位置にする。このことは世界に通用するし、世界中の人が、国が、この立ち位置に立ってものを考えないといけない。そのためにも、先ず日本がそこに立つ。そこに立つということは、明治維新以降の日本を統治した国家全体、そのありかた、その歩みは、結局、行き詰まって、迷走し、第二次世界大戦において自国民を300万人も死なせ、アジア、太平洋地域にそれ以上の多大な不幸をもたらしたということを、日本人であるとか、外国の人であるとかでなく、犠牲になって死んでいったすべての人に向けて、日本人の戦争責任として受け取らなければなたない。このことを真正面で感じなければなんともしょうがないとわたしは思いますが、先ずはそこに立つということです。

こういうふうに言うと、素直にそうだとは思えない人たちが必ずいますが続きはまた。

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