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2007年11月

小沢一郎と日本の国際貢献①

わたしは、昔から小沢一郎が嫌いではなく、小沢一郎という政治家は、政治家のなかではめずらしく〈普通の言葉〉が話せる人という印象があります。〈普通の言葉〉というのは説明が難しいですが、作為があまりないというか、外に向かって自分を表現しようとして言葉を発しているというか、うまくいえませんが、聞いていて、その人を感じられるということなんです。小沢一郎が持論を述べた「日本改造計画」という本も、この本が店頭に並んで直ぐに読みましたが、共感することも多いし、正しいことしか書いていないと思いました。さて、先日の大連立辞任騒動も一息ついて、わたしは今も小沢一郎の民主党が政権を担って欲しいと思います。しかし、正しいことが正しいとは限らないわけです。正しくとも間違った選択だということがあると思うのです。それは、小沢一郎のいう国際貢献のあり方と恒久法の制定への動きについてです。日本は国際社会の一員として、国際平和への責任を負わなければならない。そして、それについては国連が中心になって議論をし、国連の同意による、国連の活動としての自衛隊の海外派遣を法制化しなければならない。これは、いかにも正しく、立派な人間の振るまいのように思えます。小沢一郎先生が吉田松陰先生になって、正しい道には困難もある、嫌でも引き受けなければならぬこともある、そのためには命を投げ出す覚悟も必要なのだといっているわけです。しかし、しかしです、しかしそれは正しくとも、日本にとって間違った選択だとわたしは今後論考を進めたいのであります。

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読売新聞

民主と自民の大連立構想も、小沢一郎の辞任騒動も、小沢一郎の涙の記者会見で一応収束して、党首会談以前の参議院与野党逆転の対立構造に戻ったわけですが、一番ダメージを被ったのは、というよりダメージを被るべきは一連の騒動の仕掛け人といわれる渡辺恒雄以下読売新聞ではないですか。この新聞社が新聞社としてどう問題があるかは、その論調とか政治性から窺わなくとも、読売ジャイアンツであるとか、読売ベルディーであるとか、異常なまでに「読売」という社名を外そうとしないその偏って、根性の狭い、新聞社でありながらそのパブリックな姿勢の無さからして、十分にこの新聞社の体質というものを想像できるのではないかと思います。すべては、渡辺恒雄という人の人格、思想というものが読売新聞の血肉に染み渡っているのだろうと思いますが、こういう人物を廃除できない読売新聞の構造というのはもはや腐っているとしかいいようがない。だからといって、朝日新聞がまともだとも全く思いませんが、賢明なことは、テレビや新聞が垂れ流す情報や意見を鵜呑みにしたり信用するのではなく、ちゃんとした発言をする人が誰かをしっかり見極めることです。それは簡単なことではないですが、少なくとも公正な論拠でものを発言しているかをよく見ることではないでしょうか。もう一つは、自分自身を立派な人間だなんて思っている人は、そもそも問題があると思ったほうがいいでしょう。

今日は、本当は小沢一郎という人について書こうと思ったのですが、また次にします。

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七五三

11月というのは七五三で神社が賑わうのですね、わたしの親は七五三とか宮参りとかはしなかったです。どうしてかは聞いていませんが、マルクス信奉者(家には髭面のマルクスの肖像画(印刷)が飾ってありました)だったということもあるでしょうが、要はビンボーだったからそんな余裕がなかったのではないかと思います。まあビンボーが先でもマルクスが先でもどっちでもいいですが、わたしもそういうことはしないですね、親に習っているからではないですが、なんか嫌なんですね。

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