結婚式

昨日は弟の結婚式に出席。今流行のレストランウエディングで人前式、イエス様でも天照皇大神の前でもなく、私たちの前で契りを結ぶのである。変なもんだと思う。私は神主でも牧師でも市役所の戸籍課でもなく、結婚しようが別れようが好きにしてくれたらいいのに。弟君は1ヶ月掛けてウエディングリングを手作りしたそうな。それを微笑ましく思うか『カッコ悪っ』と思うか、はたまた、お父さんお母さんこれまで育ててくれてありがとうと花束を渡し、○○家と○○家ご両家を代表して新郎の父親(私の父親です)が涙を流して息子を語り、みなさまよろしくお願いしますと頭を下げて、感動するか『しらっ』と思うかはメンタリティー&思考力の問題。弟君は27歳、彼の吉田松陰は同じ歳、野山獄に幽囚されたのち、萩の実家に蟄居し松下村塾で高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文らを教えていた。斬首される2年前のこと。なにも弟君を吉田松陰と一緒にしょうなどと言うのではなく、少なくとも27歳はとうに立派な大人であると言いたいだけであります。

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『日本はもう少し個人が自立した社会になれないか』

個人が自立した社会というのは、国に対しての一個人、会社に対しての一社員、学校であるなら、学校に対しての一教員、あるいは個人でなくとも、文部科学省に対しての教育委員会、教育委員会に対しての学校であってもいい。そういう個にあたる者が統括するものに対し単純に安易に受動的に従うのではなく、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動する、そういう個によって成り立つ社会、それが本当の民主社会、成熟した自由な市民社会であって、そういう社会であるべきだと私は思う。では、今の現実の日本の社会はどうか、個人は自ら考え、自ら判断し、自ら責任を負って行動をしているか、そうではないだろう。それとは反対に自ら責任を負うことを恐れ保身にのみ汲汲としてはいないか。さらに、日本人は北朝鮮人と同じように元来が全体主義気質なようであるから、すべてが白に染まることにも赤に染まることにも、それを気味悪いとか気持ち悪いとか異様であると感じる感性に乏しい。結果、列を成してその列からはみ出さないことばかりに神経をすり減らし物事の本質を見失うことはないか。そして憂うべきはマスメディアである。私はマスメディアの特にテレビ局に大いに問題を感じる。例えばつい先日のテレビ朝日の報道ステーションでは、民主党と自民党を比較した世論調査について《それは意外なものであった・・》とCMの直前でナレーションを流しその結果をCMの後に続けた。《それは意外なものであった・・》と感じたその主体は誰か、こういうその主体のわからない安易で無責任なアナウンスを今のテレビ局は平気でする。私はテレビ局がテレビ局の意見や感想を述べるなと言うのではない。述べるのであれば、「どうなんでしょうか・・・」とか、意味の分からない表情で次のニュースに移るのではなく、はっきりと「私はそう思います」とか「そう考えます」とその主体とその意見をはっきり示すアナウンスをするべきである。そして、(新型インフルエンザについて)冷静に対応してくださいといいながら、逆に不安を煽るようにセンセーショナルに喧伝するのであれば事実を正確に坦々と伝えることに徹するべきである。私は先に挙げた国であるとか会社であるとか学校であっても同じように、組織はその中心に真っ当な見識があってはじめて真っ当に機能するのだと思う。そういう中心のない組織は翻っていえば、責任の所在のわからない組織であり、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動するという個人の自立した姿をそこに想像することのできない組織である。今のテレビ局や新聞はそういう組織ではなく真っ当な見識が働く真っ当な組織であると断言できるであろうか。問題はそういう組織が巨大な影響力を持つメディアを手中に持ってそれを行使するということである。さて、原点に戻る。日本人はどんな場面でも、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができるか。日本人は先に挙げた、国、会社、学校のような個人を統括するものが個人を覆い個人の上に聳えるものだと信じてはいないか、国の組織、政府や検察や裁判所をいまだに『御上』だと信じてはいないか、テレビや新聞の報道を鵜呑みにしたり煽られたりしてはいないか。私はなにもそれらを信じるなとか無用であるとか言っているのではない。もしそういう組織が私たち個人を覆う絶対で巨大なもであると思うのならそれは幻想であると言っておきたいのだ。逆の言い方をすれば、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができる個人によって成り立つ組織は、組織であっても個人の顔が見え、その意志の所在、その責任の所在が個人にあってそれが見えるということである。旧日本軍という組織が真っ当な組織として機能せず、無謀な戦争へと突き進んでしまったその原因の本質は、その中枢に真っ当な見識を有する個人が存在せず、さらに、自らが考え、自ら判断し、自らの責任で行動することができる個人によって成り立つ組織が個人の見えない、責任の所在の見えない組織に変貌していったことに他ならない。

日本はもう少し、個人が自立した社会になならなければならないのではないか。

付記

去る21日、京都で1名の新型インフルエンザ感染者が発生したことによって京都府教育委員会は、京都市にあるすべての府立学校を翌日より6日間の休校とし、同志社、立命館などほぼすべての大学がそれに追随し6日間の休校措置をとった。そのなかで京都大学は【新型インフルエンザに対する本学の方針について】として次のような声明を発表した。

【京都市内において新型インフルエンザの感染が確認されたところです。また、京都市、京都府から休校も要請されているところでもあります。本学においては、今回の新型インフルエンザへの対応のため、感染症対策会議およびインフルエンザ対応専門家グループを設置し、医学的、生物学的見地をふまえ対応方針(最新の方針は平成21年5月20日付け第4版)を決定してきたところです。 今回の、京都市内においての感染確認をふまえ、上記対策会議等で検討の結果、本学においては、現時点においては、通常どおりの授業を行うこととします。 なお、今後、流行範囲および規模、病原体の毒性の程度、学内感染の有無等の状況により、現在までの取扱いと同様に専門家の意見をふまえたうえで総合的に評価を行い、状況によっては全学一斉休校・・】

私は京都大学独自の措置が正しいとか正しくないということではなく、そこに大学としての自立の精神があり、さらに、大学の中枢に一つの見識があり、その見識が機能する組織であるということであり、つまりは、京都大学学長の見識と責任がはっきりとそこに見えるということである。余談であるが、正岡子規は雑誌「ホトトギス」を学校令の下に束縛されている学校に比して、不羈独立、やりたい放題の私塾のようなものだと喩え、私塾には一種の気風があると言った。インフルエンザの対応で揶揄するつもりで言うのではなく、私塾にそういう一種の気風があって個性的な人材を育てるのだろうと思う。

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新型インフルエンザ・京都奈良修学旅行突然中止

この頃、小沢一郎批判にしても新型インフルエンザ騒動にしても、つくづくこの国は嫌やなーと、生き苦しいなーと思いいたります。今日は娘の明日からの京都奈良修学旅行突然中止を担任から連絡を受け、腹が立って担任にまくし立てて文句を言ってしまいましたが、(万一)インフルエンザにかかって死んだっていいじゃないかと怒鳴り散らしても、こっちの気持ちは、この担任教師にも大半の日本人にもわかってもらえないでしょうから、もう決定してますからと言われてみればしょせん徒労感と無力感しか残らず、明治の頃、ゴホゴホと咳き込む子規を見舞った友人たちはたぶんマスクもしなかっただろうし、昔の日本人は結核で床に伏す身内や友人にどういう心情で接していたか、それを想像すると、そのころの日本人は今よりは遙かに凛としていたというか坦々と生きていたのではないかと、空しい気持ちの向こうでぼーっと思い浮かべます。

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子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ② ・ 塾通い

東京在住の友人S君は依然今度小学校にあがる息子のことで悩んでいた。
彼は熱心な創価学会員であり奥さんも創価学会員である。

「何回も同じことを言ってるけど、小学校の1年生から塾だの通信教育だのいわなくてもいいんだよ。あんた創価学会でしょう? 宗教家でしょう? だったら、人間が幸せに生きていくということがどういうことなのか、何で人間は勉強するのか、どういう人間になってほしいのか、そういうことを真剣に考えたらどうなの?」(私)
「奥さんは何て言ってるの?」(私)
「岡田さんの言うとおりって言ってるよ。」(S)
「偉いじゃない。奥さんがそれでいいならそれでいいじゃない。のびのび育てればいいじゃない。奥さんのほうがあんたよりよっぽどまともで宗教家だよ。」(私)

彼は私が「宗教家」と言ったことに顔を少し赤くした。彼は馬鹿ではないし悪い男ではない。少々信念に欠けるだけだ。彼と私とは仲がいい。日が変わっても相変わらず教育談義をしていた。そこに私より10歳ほど上の先輩がやってきた。私は先回書いたT君の話をして、「こんなのおかしいでしょう?」とばかり話しを振った。その先輩はきょとんとした表情を浮かべて、「うちも同じだよ。うちのほうがもっと凄いよ。僕が毎日送り迎えして、勉強も見てやって、中学入試のとき、息子の誕生日に合わせて25番目の受験票もらうために朝5時から並んだんだよ。」こんな話しが次から次へと繰り出される。私はまずい人に話を振ったなと後悔したがもう遅い。この先輩はS君と違い確信犯だ。私はこの先輩の人生哲学を神妙に拝聴しながらもどこかで(穏やかに)反撃する機会を窺った。この先輩の話しは要するに、「地元(茨城)の学校は荒れている。しかし、息子の可能性は伸ばしてやりたい。できるだけいい環境で勉強をやらしたい。そのために親としてできるだけのことをしてやるのは当然ではないか。そして、塾で苦労してそこで人間として学んだことも決して少なくなかった。」そういうことであったと思う。そしてしみじみとした口調で、「僕は良かったと思うんだよ」と言う。私は内心、「何が良かったのか」と思った。そして、「僕は良かったと思うんだよ」というそのなかに決定的な駄目さがあることを感じた。しかし、こういう人間の思想が違うもの同士の議論が必ずハッピーエンドに終わらないことはこれまでの経験で十分過ぎるほど承知している。

「先輩の話が正しいとか、そうでないということでなくて、学校では寝てなさいと言われ、毎日夜遅くまで塾に通う、そういう今の子供たちの風景のようなものは決してまともなものではないでしょう。僕はそう切実に感じるだけで、僕は今の子供たちが本当に幸せなのどうかということを考えたいんです。」

私はこのことだけを何度か繰り返し言った。本当は毎晩塾の送り迎えをするようなそういう親の姿もまともではないでしょうと言いたかったが・・。
私は、女房にこの話をした。女房は、「あなたのような考えはかなり少数派だと思う」と私に言う。

私はこの先輩の問いかけが頭に浮かんだ。
「岡田さんは自分の仕事を息子に継いで欲しいとは思わないの?」

私はまったく思わないと答えた。私は心底、息子が自分と違うところで、一人でちゃんと生きていってくれたらそれがなによりうれしいことだと答えた。この先輩はこの時だけ理解できないような哀しそうな表情を浮かべた。私は自分のこういう子供への思いも少数派であることを知っている。しかし、こういうところから今の子供たちや学校や、親である私たち自身のことを考えていかなければ、私のような人間の言うことはただの少数派で終わってしまうだろうと思う。

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子供、学校、教育、見えぬ荒廃 ① ・ 塾通い

「岡田(私)さんの娘さん塾は行っているんですか?」(東京在住の友人S君)
「どこにも行ってないよ。」(私)
「家の娘が今年小学校に入るんでどうしようかなと・・」(東京在住の友人S君)
「俺はね、できるだけ勉強はできないほうがいいと思ってるの、そのほうが金掛からんだろ。」(私)

私は内心、男が子供の教育のことなんかに関心持つなと不愉快な気持ちが持ち上がってくる。S君は横にいるT君の顔を覗きながら、「岡田さんとTさんの教育バトル思い出すね・・」と冗談めかす。S君の言う教育バトルとは以前に私がT君と交わした子供の話だ。T君の娘は小学校5年生である。

「T君は夕飯は何時ころ食べるの?」(私)
「まちまちですよ。娘は塾があるから一緒に食べないし・・」(T)
「娘さんはいつ食べるの?」(私)
「弁当持って行くんです。4時半ころ女房が塾に送って、帰りは10時過ぎになるんで。」(T)
「それって毎日じゃないでしょう?」(私)
「月曜から金曜 までですよ。」(T)
「それじゃあ疲れちゃうでしょう?」(私)
「塾の先生が学校では寝てないさって言うんだそうです。」(T)
「はあぁーん」(私)
「T君ね、あんたそういうことに何の疑問も感じないの?」
「はぁ・・」(T)
「はぁ、じゃないんだよ!」(私)
「はぁ・・」(T)
「あんたね、おかしいと思わないの? 子供がかわいそうだと思わないの?」(私)
「子供も(塾に)行きたいと言うんで・・」(T)
「あのね、子供というのはね、親に褒められたいと思うの、期待に応えたいと思うものなの。あんた、いい学校に行かせたいのか、いい会社に行かせたいのかしらんけど、親のね、勝手なつまらん価値観を押しつけられて、そんな生活を毎日させられて、子供が塾に行きたいと言うんで・・、はあぁーん・・、阿呆ちゃうかと言いたいわ。そんなもの親の虐待に等しいじゃないか。」(私)

ここにきて私の内心の怒りはピークに達するがそんな気持ちをまともにぶつけたって通じる相手ではない。しかし、憤懣やるかたないとはこういうときに使う言葉だ。Tに対し、Tの娘の母親に対し、塾に対し、学校に対し、今の世の中に対し。

現在、次の長良川画廊の企画で、『今、学校を考える・川口半平、野村芳兵衛の生きた時代』(仮題)を計画中なので、それと関連付けながら、今の親、学校、子供について思うことをこのブログでも綴っていこうと思います。ご意見があれば遠慮なく寄せていただき、今、子供たちは声なき悲鳴をあげていると私は思いますので、緊急、切実な問題として、多くの人と意見を交わすことができればと思います。

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