湯谷さんからの手紙②
岡田様
以前、申し上げました『新作能 桜堂』ですが、一応テキストが出来ましたので、ご覧ください。今後も手直しを続ける所存ですので、御批評ください。なお、以前お送りした梗概も再掲いたしました。
湯谷拝
『新作能 桜堂』梗概(湯谷祐三作)
(前段)
信濃善光寺の勧進聖が都の桜を一見せばやと、中仙道を通って美濃に入り、西行の足跡を横に見て、大井宿・大湫宿・細久手宿を通り、御嵩宿に入ろうとする直前、桜の大木に出会う。傍らのお堂に憩いながら、この桜が満開となればさぞ素晴らしかろうと感嘆していると、そこに土地の男が現れ、昔この近くの鬼岩というところに、関の太郎と呼ばれる鬼が住んでおり、土地の人々に難儀をかけていたが、この桜堂の上人に調伏されたことを語り、姿を消す。
(後段)
その夜お堂に宿った勧進聖は、昔この桜堂の上人が催した薬師悔過の修二会の様子を夢に見た。法会が進行するとそこに関の太郎が現れ、法会の邪魔をしようとするが、上人が駆使する二人の稚児日吉丸・月吉丸によって調伏される。改悛した関の太郎は、その類稀なる霊力によって人々に平和な春をもたらすことを誓う。鬼が大松明を力いっぱい振りかざすと、真っ赤な火の粉が四方に飛散する。鬼の舞と稚児舞が入り乱れる中、あら不思議、桜の大木が見る見る満開となる。勧進聖は随喜の涙を流し、改めて天下泰平・国土安穏・五穀豊穣・万民豊楽を祈念し、手を合わせるのであった。
〔登場人物〕
前シテ 土地の男(若男の面、袷狩衣・白大口)
後シテ 関の太郎(小瘂見の面、袷狩衣・半切)
ワキ 信濃善光寺の勧進聖(直面、着流僧出立)
ワキツレ 桜堂上人(直面、大口僧出立)
ワキツレ 日吉丸・月吉丸(いずれも子方、直面)
〔場面〕前場は現在の美濃国桜堂、後場は往古の美濃国桜堂
〔季節〕春(時代は中世)
〔作り物〕「松風」に使う松の作り物のような感じで、幹だけの太く長いもの。
ただし、全く何も使わないことも考えられる。
〔持ち物〕シテの持つ松明、ワキツレ・子方三人は数珠を持つ。
〔所要時間〕上演時間は中休みなしの通しで小一時間程度を想定。
『新作能 桜堂』(湯谷祐三作)
(後見が桜の作り物を正面先に据える)(次第の拍子でワキ登場、一の松で止まる)
ワキ(次第)「春なを寒き心には、春なを寒き心には、都の花に急がむ」
ワキ(名乗)「抑々これは信濃国善光寺の勧進聖にて候。われ久しく上洛せざるによりて、この春は都の花を一見せばやと思い立つて候ふ」
地謡(上げ歌)「旅衣、末はるばるの都路を、末はるばるの都路を、今日思ひ立つ春の山、木曽のかけはしうちわたり、風なを寒き如月の、幾日来ぬらん跡末も、げに定めなき旅の空、美濃の国へと入りにけり、美濃の国へと入りにけり」(ワキ、常座に移動)
ワキ(着きゼリフ)1「急ぎ候ふほどに、大湫・細久手の山路を行きすぎて候。このわたり、日吉・月吉の里は、昔西行法師が「夜る昼のさかひはこゝに有明の月吉日吉里をならべて」と詠み給ふところにて、この先は御嵩、可児の大寺にも参らむ」(ワキ座に着)
ワキ(着きゼリフ)2「里道を行けば、ここに古き御堂あり。傍らに大きなる桜の、いまだつぼみも見えざりしが、あまり見事なる枝ぶりに、少し立ち寄りて参らふ。ゆかりあるものにてや候ふらむ。里人にその言われを尋ねむと思ひ候ふ。
(一セイで前シテ登場、常座で止まる)
一セイ「咲かぬ間の待ちどをにのみおぼゆるは花に心のいそぐなるらむ」(一の句)
「絶えて桜のなかりせば、春の心はのどけからまし」(二の句)(シテ、常座へ)
サシ「深山には雪残れども、春風吹かば世の中は、野にも山にも霞たち、待たるゝものは桜花。この里人の集い来て、げにや真に願ふもの、花の頃とぞなりにける」
下げ歌「のどかなる、山もとかすむこの夕べ、ゆく水遠く春みえて」
上げ歌「われもまた、花待つ頃の昨日今日、花待つ頃の昨日今日、岩根に住まふ山がつも、浮かれいでてや来たりけむ、その名も高き桜堂。ありがたき、法の教えを受けしより、心の闇の消え果てゝ、ことしも花を咲かしょうぞ、ことしも花をさかしょうぞ」
問答 ワキ「いかにこれなる里人に尋ぬべき事の候」 シテ「こなたのことにて候か、何事にて候ぞ」 ワキ「この御堂の見事なる桜は、定めて由緒ある名木と存じ候。その言われをねんごろに語られ候へ」 シテ「いでいで語つて聞かせ申さむ。そもそも当寺は、嵯峨天皇の御宇、三諦上人が可児薬師と同木の桜にて薬師仏を造りいだし、みかどの御病平癒を祈願し奉りし薬師堂なり。そのゝち上人はここにて薬師悔過の修二会を行ひ、天下泰平・万民豊楽を祈念申されし。」
上げ歌「今もなお、その名花咲く桜堂、薬師十二の大願に、国土万民漏らさじの、瑠璃の光ぞ有難き。げにや安楽世界より、今この娑婆に示現して、われらが為の薬師仏、仰ぐも愚かなるべしや、仰ぐも愚かなるべしや」
ワキ「御堂の御来歴は承り候ひぬ。さてこの桜には如何なる因縁の候哉、承りたく候。お語り候へ」
シテ「昔この近く、鬼岩といふところに、関の太郎と申す鬼の潜み居りしが、月がら年がら里人を苦しめ候ひき。薬師悔過の法会を障礙せむと来たるところ、上人法力によりて日吉丸・月吉丸を遣はし、調伏しおはんぬ。懺悔したる鬼の松明を振りかざせば、火の粉多く飛び広ごりて、それを受けたるものは病平癒し、つぼみなき桜の大木に数知れず多くの花の咲きたりけるとぞ語り伝へはべる。それよりして当寺は桜堂と申し候」
上げ歌「美濃の国、土岐の里なる桜堂、花の盛りに来てみれば、誰書きたりし歌一つ、吹き結ぶ風に乱るゝ糸桜、ときにきたれどむすびめもなし、ときにきたれどむすびめもなし」
ワキ「今や桜堂のいわれ、ありがたく承りて候ふ。してこなたは如何なる人にて候ふや」
シテ「この上は、われこそ関の太郎、かく見えつれども、まことの姿は鬼形なり」
シテ「夢さめむその暁を待つほどの闇をも照らせ法のともし火」
上げ歌「静かなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞ悲しき、里人と見えつるものは鬼かとぞ、いつしか闇にまぎれけり、闇にまぎれて失せにけり。」(シテ、退場、送り笛)
ワキ「不思議なや、里人は早かいけつように姿なし。我はこの御堂に宿りして、夜もすがら薬師仏の宝号を唱え奉らむ。南無薬師瑠璃光如来」(ワキ座に戻り着座)
(中入り)
(静かな囃子を入れて、すぐ後場に入る。アイはなし。太鼓入れる)
ワキ「夜もすがら、いまだ開かぬ花を待ち、苔の衣を片敷いて、猶も奇特やみるべしと、夢待ち顔の旅寝かな、夢待ち顔の旅寝かな」
地謡「おんころころせんだりまとうぎそわか、おんころころせんだりまとうぎそわか」 「南無薬師瑠璃光如来、南無薬師瑠璃光如来」
(ツレ・子方二人を従えて登場、「おんころころ」の間に正面横一列)
ワキ「あれ御堂の内より声明のこゑすなり。上人悔過作法を行ひ給ふにやあらむ。」
地謡「薬師の十二の大願は衆病悉除ぞ頼もしき、一経其耳はさておきつ皆令満足すぐれたり」「像法転じては薬師の誓ひぞ頼もしき、一たび御名を聞く人は万の病ひを無しとぞいふ」「おんころころせんだりまとうぎそわか、おんころころせんだりまとうぎそわか」
ワキ「さて不思議やな、この有難き法会の席に、あやしきものゝ現るゝは、定めし関の太郎の、仏法をば障礙せむとて来たるなり」
(早笛と共に、シテ、松明を持って登場、常座に止まる)
シテ(次第)「われ昔より籠もりたる、美濃の国なる鬼岩の、岩を砕くる力もて、仏の教え破らむと、それ迷えや迷え、迷えや迷え、五濁悪世の凡夫ども、煩悩熾盛の焔にて、我とわが身を焼き尽くせ、己が命を焼き尽くせ」
地謡「(鬼が激しく動き回ることを述べる)」
(鬼の舞働、囃子につれて勢いよく舞台を二巡する。「道成寺」の急の舞のようなイメージ。まず目付柱、左に回って大小前、次に正面先に止まる。)
上人「それ、衆生第一の病とは、衆生第一の病とは、因果の理を知らず、無明の闇に沈み、未来永劫流転する。これやこの、心の鬼の姿なり、心の鬼の姿なり」(イノリ、鬼、蹲踞)
地謡「おんころころせんだりまとうぎそわか、おんころころせんだりまとうぎそわか」
上人「邪正一如と見る時は、色即是空そのままに、仏法あれば世法あり、煩悩あれば菩提あり、仏もあれば衆生あり、衆生もあれば鬼もある」
地謡「上人数珠をすり上げ肝胆をくだき、もみにもみ給へば、脇に控えたる童子の、鬼に近づき左から」(子方二人、合掌して左右から鬼に近づく)
日吉「我の造りし悪の業」 地謡「右から」 月吉「すべて三毒貪瞋痴」 地謡「左から」
日吉「我が身口意の成せるわざ」 地謡「右から」 月吉「すべて我今懺悔する」
日吉「諸悪莫作、衆善奉行」 月丸「煩悩即菩提、生死即涅槃」
地謡「実相真如の正法を、代わる代わるに説き聞かす。鬼は二つの眼より、涙を流し悔悟する、発露懺悔の姿なり、発露懺悔の姿なり」(鬼、蹲踞のまま、シオリ)
ワキ「然れば上人といつぱ本地薬師瑠璃光如来の御垂迹、日吉・月吉、二人の童子は、日光・月光の両菩薩にてや候ふらむ。ありがたや、薬師無縁の大慈悲は母が嬰児をいだくがごとし。鬼は薬師の法力に仏の使いと変じけり」
(子方二人、上人と横一列、鬼、正面にて蹲踞のまま)
日吉「心を洗う甘露の水」 月吉「目を悦ばす妙華の雲」
上人「世の中はみな仏なりおしなべていづれのものとわくぞはかなき」
地謡「妄執の雲晴れ渡る夜半の月、法の花咲くみぎりなりけり」(一の句)
「昔の罪もいまはただ、菩提の種となりぬらむ」(二の句)(鬼、立ち上がる)
シテ「春来る鬼は仏の使いにて、鬼は仏の使いにて、人の命の花を咲かせむ、人の命の花を咲かせむ」
シテ「我この庭に春を呼ぶ、薬師の悔過にはせ参じ、天下泰平」、地謡「国土安穏」、シテ「五穀豊穣」、地謡「万民豊楽祈らむと右に左にかけまわり、大地踏みしめ、祈念する」
地謡「いつの間に、集まり来る里人も、火の粉の風に舞い散るを、随喜の涙流しける。帰命頂礼南無薬師、虚しからざる大悲とて、疫病退散・兵戈無用、衆生済度のしるしなり、衆生済度のしるしなり」
(鬼の立回り。前へ進み、松明を振りかざす所作、次に目付柱へ行き同様、次にワキ前へ行き同様にする。それぞれで、火の粉を散らして、正面に戻る)
シテ「手にかかえたる松明の、手にかかえたる松明の、国土を照らし、衆生を守る。はるかに照らせ夜の闇、人の心の闇を照らせよ」
地謡「春来る鬼のふりあぐ松明の、火の粉虚空に舞い散りて、春の気配をかきたてむ、花咲く種となりぬらん。」
ワキ「あら不思議やな、さまでつぼみもなき枝に、花は雲かと眺めける、今満開の桜花、心無き草木にあれど時を知り、心ある目を見るぞ嬉しき、くすしき示現見るからは、広く世界に語るべし、広く世界に語るべし」
地謡「世の中にあらんかぎりは御誓願、漏らさじものを美濃の国、その名も高き桜堂、げにもふりたる木なれども、花桜木の装ひは、いづくの春もおしなべて、のどけき影は有明の、天も桜に酔へりとや、眺め妙なる景色かな、栄行く春こそ久しけれ、栄行く春こそ久しけれ」(シテ、ツレ、子方静かに退場)
ワキ「闇晴れて心の空に澄む月は」「西の山辺や近くなるらむ」(ワキ止め)
地謡「これやこの浮き世のほかの春ならむ、花のとぼそのあけぼの空、花のとぼそのあけぼのの空」(ワキ退場)(完)